此に一の留意すべき事がある。それは第三次文政二年の入京である。果して※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎が此旅をなしたとすると、それは余程|遽《あわた》だしい旅であつたと見なくてはならない。
 何故にさう云ふかと云ふに、菅茶山は文化十四年に「※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎西遊之志御坐候よし、これは何卒晋帥が墓にならぬうちに被成よと御申可被下候」と、蘭軒に嘱した。越えて文政二年に※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎は入京した。そして茶山が神辺にあつて待つてゐるにも拘らず、往いてこれを訪ふことなしに、京都から踵《くびす》を旋したこととなる。己卯には※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎の神辺に往つた形迹が絶無だからである。
 是よりわたくしは此年辛巳の旅を記さうとおもふ。※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎は文政四年に江戸より木曾路を経て京都に入つた。入京の日は四月八日であつた。
 十五年前に蘭軒は同じ街道を京都に往つた。そしてその京に著いたのは発程第十七日であつた。仮に※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎が同じ日数を同じ道中に費した
前へ 次へ
全1133ページ中373ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング