には窺ふことを得なかつたのである。そしてその偶《たま/\》鈔写することを得たものは、至宝として人に誇つた。それは下《しも》の如きわけである。
 六朝から李唐に至る間、医書の猶存するものは指を※[#「てへん+婁」、7巻−218−下−5]《かゞな》ふるに過ぎない。然るに隋唐経籍志に就いて検すれば、佚亡の書の甚多いことが知られる。それゆゑせめては間接に此時代の事を知らうといふ願望が生ずる。これは独り医家を然りとするのみでは無い。考古学者と雖亦同じである。
 幸に外台秘要《ぐわいたいひえう》と云ふ書がある。唐の王※[#「壽/れっか」、第3水準1−87−65]《わうたう》の著す所である。※[#「壽/れっか」、第3水準1−87−65]は珪の孫で、新唐書王珪の伝の末に数行の記載がある。此書は引用する所が頗《すこぶる》広いので、文献の闕を補ふに足るものである。只憾むらくは宋代の校定を経来り、所々字句を改易せられてゐる。新唐書に拠れば、「討繹精明、世宝焉」と云つてあつて、当時既に貴重の書であつた。宋人の妄《みだり》に変改を加へたのは慮《おもんぱかり》の足らなかつたものである。題号の外台は、徐春甫が「天宝
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