康頼《やすより》は後漢の霊帝十三世の孫である。康頼八世の祖が日本に帰化して大和国|檜隈郡《ひくまのこほり》に居つた。六世の祖に至つて丹波国矢田郡に分れ住んだ。康頼に至つて丹波宿禰の姓を賜はつた。これが世系の略である。此康頼が円融天皇の天元五年に医心方三十巻を撰び、永観二年十一月二十八日にこれを上《たてまつ》つた。
 医心方は世《よゝ》秘府《ひふ》に蔵儲せられてゐた。そして全書の世間に伝はつたのが安政元年十一月十三日であつたことは、嘗て渋江抽斎の伝に記した如くである。是より先正親町天皇の時、典薬頭|半井瑞策《なからゐずゐさく》が秘府より受けて家に蔵することとなり、其|裔孫《えいそん》広明《ひろあき》に至つて出して徳川氏に呈したのである。
 然るに安政の「医心方出現」に先だつて、別に仁和寺本と称する一本があつた。そしてその秘して人に示さぬことは、半井本と殊なることがなかつた。寛政三年、即多紀氏の躋寿館《せいじゆくわん》が私立より官設に移された年に、躋寿館は此仁和寺本を影写して蔵することを得た。
 仁和寺本は残脱の書であつて、後に出でた半井本に比すべきではなかつたが、当時の学者はこれだに容易
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