玄安、称仙軒徳山信美居士、文政二年己卯年四月廿二日卒。」名は信美、通称は玄安で、歿日は四月二十二日とするものに従ふべきであらう。
小島氏では此年宝素|尚質《なほかた》の妻山本氏が六月十九日に歿した。尋で尚質の納れた継室が一色氏で、即ち春沂《しゆんき》の母である。
頼氏では山陽が四十歳になつた。「平頭四十驚吾老、何況明朝又一年」は其除夜の詩句である。田能村竹田が此秋江戸に来た。
此年蘭軒四十三歳、妻益三十七歳、榛軒十六歳、常三郎十五歳、柏軒十歳、長六歳であつた。
その百六
文政三年春は江戸が特に暖であつたらしい。前年の十二月中雪が一度も降らなかつたことが、蘭軒の「庚辰元旦」の詩に見えてゐる。「三冬無雪自軽暄。今歳元旦春色繁。計得出遊宜火急。梅荘恐没一花存。」雪は正月の初に降つた。元旦と人日《じんじつ》との詩の間に、「雪日偶成」の作が介《はさ》まつてゐる。神辺の元旦はこれに反して雪後であつた。茶山の律詩に叙景の聯がある。「流漸汨々野渠漲。残雪輝々林日斜。」
此年の初には蘭軒は殆《ほとんど》戸外に出でずにゐたらしい。「豆日草堂小集」の詩に、「春至未趨城市間、梅花鳥哢一
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