茶山の蘭軒に与へた丁丑八月七日の書牘に、王子金輪寺の混外《こんげ》が事に連繋して出てゐる人物の中、わたくしは既に石田梧堂と岡本豊洲とを挙げた。剰す所は田内|主税《ちから》と土屋七郎とである。
 田内は茶山が書を裁するに当つて、はつきり其氏をおもひ浮べることが出来なかつたと見えて、「か川」の傍註が施してある。田内か田川かとおもひまどつたのである。しかし田内の事は茶山集にも山陽集にも、詩題詩註に散見してゐる。始終茶山と太《はなは》だ疎《うと》くは無かつたのである。一説に田内は「でんない」と呼ぶべきであらうと云ふ。しかし茶山が田内か田川かとおもひまどつたとすると、当時少くも茶山はでんないとは呼んでゐなかつたらしい。
 然らば菅頼二家の集は何事を載せてゐるかと云ふに、それは殆ど云ふに足らない。田内主税、名は輔《ほ》、月堂と号す、会津の人だと云ふのみである。わたくしは嘗て正堂の一号をも見たことがある。市河三陽さんに聞けば、輔は親輔の省で、字《あざな》は子友であつたと云ふ。幼《いとけな》い時から白川楽翁侯に近侍してゐた人である。南天荘主は頃日《このごろ》田内の裏書のある楽翁侯の歌の掛幅《くわいふく
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