其坐談には諧謔を交ふることをも嫌はなかつただらう。わたくしは田能村竹田《たのむらちくでん》が茶山の笑談《せうだん》として記してゐた事をおもひ出す。それは頼|杏坪《きやうへい》を評した語であつた。「万四郎は馬鹿にてござる。此頃は蚊の歌百首を作る。又此頃はいつものむづかしき詩を寄せ示す。其中には三ずゐに糞と云ふ字までも作りてござる。」糞は独り糞穢《ふんくわい》のみでは無い。張華は「三尺以上為糞、三尺以下為地」とも云つてゐる。※[#「さんずい+糞」、7巻−198−上−7]《ふん》も亦|爾雅《じが》に「※[#「さんずい+糞」、7巻−198−上−7]大出尾下」と云つてある。註疏を検すれば、刑※[#「日/丙」、第3水準1−85−16]《けいへい》は「尾猶底也」「其源深出於底下者名※[#「さんずい+糞」、7巻−198−上−9]、※[#「さんずい+糞」、7巻−198−上−9]猶灑散也」などと云つてゐる。今謂ふ地底水であらう。郭璞《くわくぼく》は「人壅其流以為陂、種稲、呼其本出処、為※[#「さんずい+糞」、7巻−198−上−11]魁」と云つてゐる。即ち水源の謂で、ゐのかしらなどの語と相類してゐる。要する
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