ある。
 しかし茶山が書牘の「※[#「「卅」にさらに縦棒を一本付け加える」、7巻−197−上−14]年前」「三十年前」は、二箇所共に字画鮮明である。わたくしの読みあやまりではない。三十年前は分明に老茶山の記憶の誤である。啻《たゞ》に書の尽《ことごと》く信ずべからざるのみではない。古文書と雖、尽く信ずることは出来ない。※[#「さんずい+章」、第3水準1−87−8]州の牽牛花の種子は何年に誰から誰に伝はつても事に妨《さまたげ》は無い。わたくしの如き間人の間事業が偶《たま/\》これを追窮するに過ぎない。しかし史家の史料の採択を慎まざるべからざることは、此に由つても知るべきである。
 わたくしは前《さき》に山陽の未亡人里恵の書牘に拠つて、山陽|再娶《さいしゆ》の年を定めた。しかし女子が己の人に嫁した年を記すると、老人が園卉種子《ゑんきしゆし》の授受を記するとは、其間に逕庭があらうとおもふ。

     その九十七

 菅茶山の朝貌《あさがほ》の話は、流暢な語気が殆どトリヰアルに近い所まで到つてゐる。想ふに茶山は平素語を秤盤《しようはん》に上《のぼ》せて後に、口に発する如き人ではなかつただらう。
前へ 次へ
全1133ページ中321ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング