山の叙とがある。末には北条霞亭と立原翠軒との題贈がある。彼は七絶二、此は七絶七である。最後の半頁は著者の嗣子|松《しよう》の跋がこれを填《うづ》めてゐる。
本文の初に「伊勢河崎敬軒先生著、友人韓※[#「王+王」、第4水準2−80−64]聯玉校」と署してある。河崎良佐が敬軒と号したことが知られる。又敬軒の文政二年己卯五月二十七日に歿したことは、子松の跋に見えてゐる。韓※[#「王+王」、第4水準2−80−64]《かんかく》は山口覚大夫、号|凹巷《あふこう》で、著者校者並に伊勢の人である。
わたくしの日記に期待した所のものは、主に茶山西帰の行程である。それゆゑ先づこれを抄出する。
「乙亥二月二十六日。雨。発東都。聞都下送者觴茶山先生於品川楼。予与竹田器甫先発。宿程谷駅。」発※[#「車+刄」、第4水準2−89−59]《はつじん》の日は二十六日であつた。河崎竹田は祖筵に陪せずして先発した。竹田|器甫《きほ》は茶山集にも見えてゐて、筑前の人である。
「廿七日。巳後先生至。江原与平及門人豊後甲原玄寿讚岐臼杵直卿従。発装及申。宿戸塚駅。」敬軒等は茶山を程谷《ほどがや》に待ち受け、此より同行した。茶
前へ
次へ
全1133ページ中275ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング