を夢みてゐる。前牘に「備中あたりになればよい」と云つた江戸である。茶山は端《はし》なく、漸く江戸に馴れて移住してもよいと云ふ河崎|良佐《りやうさ》と、猶江戸を畏れつゝ往反に艱《なや》む老を歎く自己とを比較して見た。そして到底|奈何《いかん》ともすべからずと云ふに畢《をは》つた。
わたくしは此に少しく河崎の事を追記したい。これは同時に茶山西帰の行程を追記したいのである。河崎に驥※[#「亡/虫」、7巻−168−下−3]《きばう》日記の著があつたことは既に言つた。しかしわたくしは未だ其書を見るに及ばなかつた。
頃日《このごろ》わたくしは彼書を蔵するもの二人あることを聞いた。一は京都の藤井|乙男《おとを》さんで、一は東京の三村清三郎さんである。そして二氏皆わたくしに借抄を允《ゆる》さうといふ好意があつて、藤井氏は家弟潤三郎に、三村氏は竹柏園主にこれを語つた。偶《たま/\》藤井氏の蔵本が先づ至つたので、わたくしは此に由つて驥※[#「亡/虫」、7巻−168−下−10]日記のいかなる書なるかを知つた。
藤井本は半紙の写本で、序跋を併せて二十七|頁《けつ》である。首には亀田鵬斎の叙と既に引いた茶
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