句を見てわたくしは少く惑ふ。しかし麻布は鳥居坂の伊沢宗家を斥《さ》して言つたのであらう。令兄は信美《しんび》であらう。蘭軒の父|信階《のぶしな》の養父|信栄《しんえい》の実子が即ち信美である。家系上より言へば蘭軒の叔父《しゆくふ》に当る。蘭軒には姉があつて兄が無かつた筈である。わたくしは姑《しばら》く茶山が信美と其|女《ぢよ》とを識つてゐたものと看る。
 以上は茶山が蘭軒の家眷宗族のために言つたのである。次に蘭軒の交る所の人々の中、茶山の筆に上つたものが六人ある。
 余語古庵《よごこあん》をば特に「古庵様」と称してある。大府の御医師として尊敬したものか。「卿雲」は狩谷※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎、「市野」は迷庵、「服部」は栗陰《りついん》[#ルビの「りついん」は底本では「りつりん」]、「小山」は吉人《きつじん》か。中にも卿雲吉人には、茶山が蘭軒に代つて書牘《しよどく》を作つて貰はうとした。独り稍不明なのは書中に所謂《いはゆる》「市川」である。
 わたくしは市川は市河であらうかと推する。寛斎若くは米庵であらうかと推する。市河を市川に作つた例は、現に刻本山陽遺稿中にもあるの
前へ 次へ
全1133ページ中269ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング