豊」の印があることを聞いた。玉蘊の名は果して豊であつた。次でわたくしは茶山集中に「草香孟慎墓」の五律があるのを見出した。其七八に「遺編托女甥、猶足慰竜鍾」とある。女甥《ぢよせい》は豊ではなからうか。
茶山は此書を作るに当つて、蘭軒の親族のために一々言ふ所があつた。
先づ榛軒がためには、父蘭軒に子を教ふる法を説いてゐる。「たんと御叱被成まじく候。あまりはやく成就いたさぬ様に御したて可被成候。」至言である。茶山は十二歳の棠助《たうすけ》のためにこれを発した。
飯田氏|益《ます》に対しては、茶山は謝辞を反復して悃※[#「肄」の「聿」に代えて「欠」、第3水準1−86−31]《こんくわん》を尽してゐる。江戸を発する前に、まのあたり告別することを得なかつたと見える。
側室さよに対しては、「さしつかひ候御せわ」を謝し、又「御すこやかに御せわなさるべく」と嘱してゐる。前の世話は客を※[#「肄」の「聿」に代えて「欠」、第3水準1−86−31]待する謂《いひ》、後の世話は善く主人を視る謂である。「さしつかひ候」は耳に疎《うと》い感がある。或は当時の語か。
「麻布令兄様御女子御両処へ宜奉願上候。」此
前へ
次へ
全1133ページ中268ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング