を嫌つた。そして久しく侯の前にあつて、時に衣の鬆開《そうかい》したのを暁《さと》らずにゐた。侯は特に一種の蔽膝《へいしつ》を裁せしめて与へたさうである。座布団と蔽膝との事は曾能子《そのこ》刀自の語る所に従つて記す。
蘭軒は阿部邸に徙《うつ》るために、長屋を借ることを願つた。しかし阿部家では所謂《いはゆる》石取《こくどり》の臣を真の長屋には居かなかつた。此年に伊沢氏の移つた家も儼乎たる一|構《かまへ》をなしてゐたらしい。伊沢分家の人々は後に文久中に至るまで住んだ家が即ち当時の家だと云つてゐるが、勤向覚書を閲《けみ》するに、文化十四年に蘭軒は同邸内の他の家に移つた。高木氏の故宅と云ふのがそれである。今分家に平面図を蔵してゐる家屋は、恐くは彼高木氏の故宅であらう。平面図の事は猶後に記さうとおもふ。兎に角丸山邸内に於ける初の居所は、二年後に徙《うつ》つた後の居所に比すれば、幾分か狭隘であつたのだらう。蘭軒の高木氏の故宅に移つたのは、特に請うて移つたのである。
菅茶山は此年文化十二年二月に江戸を発して、三月の末若くは四月の初に神辺に帰つた。途中で大坂から蘭軒に書を寄せたが、其書は佚亡してしま
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