月二日過其対岸。而風雨晦冥。遂不果遊。」
三日には大井川を渡り、佐夜の中山を過ぎ、菊川で良佐と小酌した。集に「上巳渉大猪水作、懐伊勢藤子文」の長古がある。「帰程忽及大猪水、水阻始通灘猶駛、渉夫出没如鳧※[#「翳」の「羽」に代えて「鳥」、第4水準2−94−37]、須臾出険免万死」の初四句は、当時|渉河《せふか》の光景を写し出して、広重の図巻を展《の》ぶるが如くである。末解《まつかい》はかうである。「吾願造觴大如舟。盛以鵞黄泛前頭。乗此酔中絶洋海。直到李九門前流。」佐藤子文は伊勢国五十鈴川の上《ほとり》に住んでゐた。遠江国とは海を隔てて相対してゐたので、此の如く著想したのである。
良佐は茶山への附合に、舟を同じうして佐屋川に棹《さをさ》した。「数派春流一短篷。喜君迂路此相同。」上《かみ》に云つたとほり、訣別したのは四日市である。
茶山は大坂に著いて蘭軒に書を寄せた。其書は今伝はつてゐない。只添へてあつた片紙が饗庭篁村《あへばくわうそん》さんの蔵儲中に遺つてゐる。
「三月三日道中にて。けふといへば心にうかぶすみだ川わがおもふ人やながすさかづき。大井川をわたりて。大井川ながるゝ花を盃とみ
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