るに勝《た》へぬが、此に其人の境遇に変易を見たもののみを記して置く。其一は井上四明である。四明|初《はじめ》戸口氏、名は潜、字は仲竜、居る所を佩弦堂と云つた。井上蘭台の後を承けて、備前の文学になつてゐたが、此冬致仕して町ずまひの身となつた。茶山は「四明先生告老、藩主加賜以金、燕喜之辰、余亦与会、賦此奉呈」として七律を作つた。其一二に「賜金不必買青山、心静城居即竹関」と云つてある。藩主は松平上総介|斉政《なりまさ》である。
 其二は大田南畝である。南畝は文化七年に幕府の職を辞して、閑散の身となつてゐた。茶山の此冬の作に、「蜀山人移家于学宮対岸、扁曰緇林、命余詩之」とした七絶がある。「杏壇相対是緇林。吏隠風流寓旨深。毎唱一歌人競賞。有誰聴取濯纓心。」学宮対岸の家は即ち駿河台|紅梅坂《こうばいざか》大田姫稲荷前の家であらう。南畝は小石川小日向金剛寺坂から此に移つたのであらう。

     その七十三

 頼氏では此年文化十一年に春水が六十九歳になつた。「累霑位禄愧逢衣。霜鬢明朝忽古稀。」京都では山陽が後妻を娶《めと》つた。小石元瑞の養女、近江国|仁正寺《にんしやうじ》の人某氏の女《ぢよ》里恵
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