り「水飲病」を得て、終身|全愈《ぜんゆ》するに至らなかつた。山陽は一たび父を京都の家に舎すことを得て、此に亡命事件の落著を見た。春水は山陽を訪ふとき、養嗣子|聿庵《いつあん》を伴つて往つた。即ち山陽の実子|御園《みその》氏の出|元協《げんけふ》である。
此年蘭軒は三十七歳、妻益三十一歳、三児中榛軒十歳、常三郎九歳、柏軒四歳であつた。
文化十一年の元旦は臘月願済の湯治日限の内であつた。これは前年の十二月が大であつたことを顧慮して算しても、亦同じである。しかし一日を遅くすることが養痾に利があるわけでもないから、除夜には蘭軒は家に帰つてゐたであらう。
「甲戌早春。嚢※[#「士/冖/石/木」、第4水準2−15−30]掃空餞臘来。辛盤椒酒是余財。逢喧脚疾漸除却。杖※[#「尸+(彳+婁)」、第4水準2−8−20]遍尋郊野梅。」当時蘭軒の病候《びやうこう》には消長があつて、時に或は起行を試みたことは、記載の徴すべきものがある。しかし「杖※[#「尸+(彳+婁)」、第4水準2−8−20]遍尋」は恐くは誇張を免れぬであらう。
その六十九
甲戌早春の詩の後に、羽子《はご》、追羽子の二絶が
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