と不仕候間、湯島天神下薬湯え三廻り罷越度奉願上候処、即刻願之通被仰付候。」余語等三人を引見したのは、自宅に於てしたらしくも聞えるが、或は天神下に舎《やど》つた後の事であつたかも知れない。
 蘭軒は此年病の為に困窮に陥つて、蔵書をさへ沽《う》らなくてはならぬ程であつた。そこで知友が胥謀《あひはか》つて、頼母子《たのもし》講様の社を結んで救つた。彼の茶山に疎懶《そらん》を怪まれたのも、勝手の不如意が一因をなしてゐたのではなからうか。「癸酉終歳臥病、家貲頗乏、数人為結義社、仮与金若干、記喜。経年常負債。一歳総投痾。窮鬼難駆逐。儲書将典過。東西人倶眷。黄白術相和。政是逢江激。轍魚帰海波。」蘭軒がためには「儲書将典過」が、シヤイロツクに心の臓を刳《ゑぐ》り取られるより苦しかつたであらう。
 蘭軒は此《かく》の如く病と貧とに苦められて、感慨なきこと能はず、歳暮に「自責」の詩を作つた。「官路幸過疎放身。一家暖飽十余人。従来無手労耕織。不説君恩却説貧。」
 此年尾藤二洲、犬冢印南、今川槐庵の亡くなつたことは上《かみ》に云ふ所の如くである。
 頼氏では此年春水が陞等《しようとう》加禄の喜に遇つたが、冬よ
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