ならざるを得ない。「年すでに三十一、すこし流行におくれたるをのこ、廿前後の人の様に候、はやく年よれかしと奉存候事に候。」其才には牽引せられ、其迹には反撥せられてゐる茶山の心理状態が遺憾なく数句の中に籠められてゐて、人をして親しく老茶山の言《こと》を聴くが如き念を作《な》さしむるのである。
 わたくしは此書を細検して、疑問の人物頼遷が稍明に姿を現し来つたかと思ふ。それは「為人は千蔵よく存ゐ申候」の句を獲たるが故である。千蔵は山陽を熟知してゐる人でなくてはならず、又江戸にゐて蘭軒の問に応じ得る人でなくてはならない。わたくしは其人を求めて、直に遷に想ひ到つた。即ち※[#「くさかんむり/姦」、7巻−124−上−3]斎《かんさい》詩集及長崎紀行に所謂頼遷、字は子善、別号は竹里である。
 然るに載籍に考ふるに、千蔵は頼公遷の通称である。公遷、通称は千蔵別号は養堂として記載せられてゐる。
 是に於て遷即公遷であらうと云ふ木崎好尚さんの説の正しいことが、略《ほゞ》決定したやうに思惟せられる。わたくしは必ずしも頼氏の裔孫の答を待たなくても好ささうである。
 わたくしは姑《しばら》く下《しも》の如くに湊合
前へ 次へ
全1133ページ中202ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング