ところとは道ゆきぶりの語を謂ふのである。
 詩。「富海途中。天容海色望悠々。浮碧一桁豊後州。曲岸吾過東畔去。前人已在水西頭。小郡駅逆旅、池蓮盛開、花葉頗大、都下所未見、応主人需賦。芙※[#「くさかんむり/渠」、7巻−90−下−14]清沼遍。香気帯秋寒。葉是青羅傘。花為白玉盤。飜風声策々。経雨露溥々。剰有新肥藕。採来供晩餐。」

     その四十六

 第三十六日は文化三年六月二十五日である。「廿五日卯時発す。山路を経るに周防長門国界の碑あり。二里半山中駅なり。二又川を渡り二里半舟木駅。櫛屋太助の家に休す。売櫛家《くしをうるいへ》多し。土人説に上古此地に大なる樟木《くすのき》あり。神功皇后の三韓を征する時艨艟四十八艘を一木にて造れり。因て船木と名《なづ》く。其枝の延し所を涼木《すゞき》といひ(船木より四里)木末《こずゑ》の倒し所を木の末といふ。(船木より六里。)此近地より出る石炭は古樟の木片なるべし。木の末今は清末《きよすゑ》とあやまるといふ。船木川を渡り、くしめ坂を越え一里半浅市駅。福田より蓮台にいたる間美田長し。朝野弥太郎の千町田《ちまちだ》といふ。一里廿八町吉田駅。山城屋重兵衛の
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