え、今はくわうえふざんと音読せられてゐる。茶山が号の本づく所の茶臼山は、原《もと》の名|秋円山《あきまるやま》である。道之上《みちのうへ》城址の在るところで、形より茶臼の称を得た。
 茶山が当時の身分は、前《さき》に江戸に客たりし時より俸禄が倍加せられてゐる。茶山は寛政四年に五人扶持を給せられ、享和元年に儒官に準ぜられ、文化二年に五人扶持を増して十人扶持にせられた。即ち蘭軒の来訪した前年である。これより後茶山は十人扶持づつの増俸を二度受けて三十人扶持になり、大目附に準ぜられて終つた。
 蘭軒を※[#「肄」の「聿」に代えて「欠」、第3水準1−86−31]待した家族は紀行に「その妻及男養助」と記してある。妻は継室|門田《もんでん》氏であらう。養助は要助の誤で、茶山の弟猶右衛門|汝※[#「木+便」、第4水準2−15−14]《じよへん》の子要助、名は万年《ばんねん》、字《あざな》は公寿《こうじゆ》である。汝※[#「木+便」、第4水準2−15−14]の※[#「木+便」、第4水準2−15−14]は司馬相如《しばしやうじよ》の賦に※[#「木+便」、第4水準2−15−14]南予章《へんなんよしやう》と
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