《たゞひで》、叙爵して飛騨守と云ふ。寛政九年二月十二日に長崎奉行より転じて勘定奉行となり、国用方《こくようかた》を命ぜられた。曲淵《まがりぶち》甲斐守|景漸《けいぜん》の後を襲《つ》いだのである。尋で六月六日に忠英は関東の郡代を兼ねた。此年正月に至つて、大目附指物帳鉄砲改に転じた。南宮山古鐘のために屋舎を作らしめたのは此忠英である。
詩。「関原駅。村長披来御陣図。平原指点説須臾。転知黎庶帰明主。遂是奸雄成独夫。首馘千年※[#「隻+隻」、7巻−69−上−14]塚在。※[#「示+駸のつくり」、第4水準2−82−70]氛万里一塵無。行行今拝山河去。酒店茶亭満駅途。不破関古址。関門陳迹旧藤河。此境先賢佳句多。林裏荒簷三両戸。昇平今不復誰何。江濃界。落日村墟涼似秋。農人相伴過青疇。帰家仍隔疎籬語。便是江濃分二州。」
第十五日。「四日卯時に発し一里番場駅。蓮華寺に詣り、午後|磨針嶺《すりばりれい》望湖堂に小休す。数日木曾山道の幽邃に厭《あき》し故此に来《きたり》湖面滔漫を遠望して胸中の鬱穢《うつくわい》一時消尽せり。時に天曇り月出崎《つきのでさき》竹生島模糊として雨色を見れども、雨足過行て比良
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