《ゆうじよしようゆう》撰するところなり。小野滝看《をのたきみ》の茶屋に小休《こやすみ》して三里九丁須原の駅。大島屋唯右衛門家に投宿す。時已未後なり。此辺|酸棗木《さんさうぼく》(小なつめ)蔓生の黄耆《わうぎ》(やはら草)多し。民家に藜蘆《りろ》(棕櫚草)を栽《うう》るもの数軒を見る。凡《おほよそ》信濃路水車おほし。此辺尤多し。又一種|水杵《すゐしよ》あり。岩下或は渓間に一|小屋《せうおく》を構臼を安《お》き長柄杵《ながえぎね》(大坂|踏杵《ふみきね》也)を設け、人のふむべき処に凹《くぼみ》をなして屋外に出す。泉落て凹処降る故、忽《たちまち》水こぼる。こぼれて空しければ杵頭《しよとう》降りて米穀|※[#「てへん+舂」、7巻−64−下−15]《つ》ける也。常勝寺にいたる。義清奉納の大鼓あり。(図後に出す。)此日暑甚し。行程八里半|許《きよ》。」
小沢に葬られた石作駒石は名を貞、字を士幹と云ふ。通称は貞一郎である。尾張家の附庸《ふよう》山村氏に仕へた。山村氏は福島を領して所謂《いはゆる》木曾の番所の関守であつた。駒石は明和の初に、伊勢国桑名で南宮大湫《なんぐうたいしう》に従学した。即ち蘭軒
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