軒自己の動静に入る。「石之間より上り、御医師部屋へ通り、九つ時宗達と交代して、己旅宿《おのがりよしゆく》夷川通《えびすがはどほり》堀川東へ入る町玉屋伊兵衛持家へ著く。町役両人馳走す。先《まづ》展《のし》昆布を出す。浴後昼食|畢《をはつ》て、先当地之|産土神《うぶすながみ》下之御霊《しものごりやう》へ参詣、(中略)北野天満宮へ参詣、(中略)貝川橋を渡り、平野神社を拝む。境内桜花多く、遊看の輩《ともがら》男女|雑閙《ざつたうす》。」志村玄叔、今の名良※[#「りっしんべん+豈」、第3水準1−84−59]さんの語る所に拠れば、旅寓は「夷川町染物屋の別宅」であつたと云ふ。按ずるに玉屋は染物屋か。
「五日。」是日は記事が無い。
「六日。快庵、宗達、伯元と出水《でみづ》中山|津守《つもり》宅訪ふ。内室、子息豊後介に対面。」中山氏の事は未だ考へない。
「七日。今日卯上刻御供揃、巳中刻御出、先施薬院へ御入、御装束召換、巳時と申て午の時御参内あり、入夜《よにいりて》還御。」
「八日。比叡山へ登る。良三を伴うて宅を出。(中略。)亥時頃旅宿へ還る。」
「九日。(上略。)雨中松尾神社へ参る。(下略。)」
「十日。雨。内命ありて尾張大納言殿御見舞申す。(中略。)御医師に逢うて御容態を申し、御薬方を相談し、御菓子御茶二汁五菜の御膳を被下、白銀十枚を被賜《たまはる》。直に登城して御用掛伊豆殿まで其趣を申上る。今夜宿番。」「尾張大納言」は茂徳《もちのり》である。「伊豆殿」は側衆坪内伊豆守保之か。
「十一日。雨。賀茂|下上之社《しもかみのやしろ》に行幸あり。将軍家供奉。」
「十二日。」是日は記事が無い。
「十三日。下賀茂|御祖《みおや》神社へ参る。(中略。)上賀茂|別雷《わきいかづち》大神宮へ参る。(中略。)門の前の堺屋にて酒を飲む。」
「十四日。当番。」
その三百十八
わたくしは京都に在る柏軒の日記を抄して、文久癸亥三月十四日に至つた。此より其後を書き続ぐ。
「十五日。玄叔を率《ゐ》て先大仏を観、(中略)稲荷社に参詣、(中略)社の門の前石川屋にて酒を飲。」
「十六日。愛宕参。(下略。)」
「十七日。先考正忌日精進。終日旅宿に居る。」
柏軒の日記は十八日より二十八日に至る十一日間の闕文がある。此間に江戸丸山の伊沢棠軒は家を挙げて途に上つた。棠軒は前年壬戌十二月四日に福山に移ることを命ぜられ、癸亥三月二十二日に発※[#「車+刄」、第4水準2−89−59]《はつじん》したのである。棠軒公私略に「三月廿二日、妻子及飯田安石家内之者召連、福山え発足」と云つてある。
此頃京都に於ては、一旦将軍帰東の沙汰があつて、其事が又|寝《や》んだと見える。良子刀自所蔵の柏軒の書牘《しよどく》がある。「御発駕も廿一日之処御延引、廿三日も御延引、未だ日限被仰出無之候。何れ当月内には御発駕と存候。(下略。)三月廿四日。磐安。徳安郎へ。」本文末段は柏軒が徳安に出迎の事を指図したものゆゑ省略した。
わたくしは此より復《また》柏軒の日記に還る。
「廿九日。石清水八幡宮に参り拝む。(下略。)」
「卅日。雨。」
「卯月|朔日《ついたち》。雨。新日吉《しんひえ》神社、佐女牛《さめうし》八幡宮両所へ参る。(下略。)」
「二日、寅日。朝雨、昼より晴る。大樹公巳刻御参内なり。御供揃五つ半時、其少しく前伯元等と御先に施薬院へ御入にて、午の半刻頃二た綾の御直衣《おんなほし》にて御参内、引続き一橋中納言殿も御参内あり。御饗応ありて、主上、時宮、前関白殿、関白殿、大樹公、近衛殿へは吸物五種、御肴七種、配膳の公卿は吸物三種、肴五種なりとぞ。大樹公へは天盃を賜り御馬を賜る。御盃台は柳箱《やないばこ》、松を著け、松に鬚籠《ひげこ》を挂《か》く。夜戌の半刻頃御退出にて、亥刻前施薬院を御立ち、伯元等と亥刻に旅宿へ帰る。(下略。)」「主上」は孝明天皇、「時宮」は皇太子、「前関白」は近衛前左大臣|忠※[#「熈」の「ノ」に代えて「冫」、第3水準1−87−58]《たゞひろ》、「関白」は鷹司前右大臣|輔※[#「熈」の「ノ」に代えて「冫」、第3水準1−87−58]《すけひろ》、「近衛」は近衛大納言忠房である。
「三日、卯日。天晴れ熱し。廬山寺の元三大師御堂へ参る。」是日柏軒が塩田良三を伏見へ遣つて、竹内立賢に会談せしめ、江戸の近況を知つたことは、次に引くべき書牘に見えてゐる。
柏軒の日記は此に終る。
四日には柏軒が郷に寄する書を作つた。此書は富士川氏の蔵する所である。「公方様益御安泰に被為在《あらせられ》、難有事に御坐候。次に手前壮健平安に候。其地も静謐に相成様承知候。何分公方様御事禁庭様御首尾大に宜《よろしく》被為在に付、御発駕も御延に相成候御容子、来る十一日石清水八幡宮に行幸有之、公方様御供奉被遊候。右相済
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