も動《やゝ》もすれば免れぬ事だが、都合好く運んで来た茶番の準備が役割の段に至つて頓挫した。新七の筋立から取つたものは、前に云つた通、天一坊と地雷也とであるが、其天一坊に殺されるお三婆は誰に持つて行つても引き受けぬ役であつた。初め一同は此役を上原|元永《げんえい》に持つて行つた。それは上原が婆面《ばゞづら》をしてゐるからと云ふわけであつた。しかし元永は聴かない。次に上原全八郎に持つて行つた。是も聴かない。次に成川貞安《なりかはていあん》と云ふ男に持つて行つた。是は伊沢の当主良安の里と同じ町に住んで、外科で門戸を張つてゐる医者であつた。或年清川玄道の家の発会《ほつくわい》に往つた帰に、提灯の火が簔に移つて火傷《やけど》をして、ひどく醜い顔になつた。此男なら異議はあるまいと云ふので持つて行つたのである。然るに成川は云つた。己は勿論この顔で好い役をしようとは思はない。しかしお三婆だけは御免を蒙る。どうぞ山賊の子分にでもしてくれと云つた。お三婆の役がこんなに一同に嫌はれたのは、婆になるのがつらい上に、絞め殺されなくてはならぬからであつた。此時わたくしは決心してかう云つた。宜しい。そんなに皆が嫌ふなら、お三婆は己が引き受けよう。しかし己は条件を附ける。己は婆になる代に、跡の役は極好い役でなくては勤めないと云つた。わたくしはかう云つて、とう/\婆殺しの次の巡礼殺しの場に出る観音久次《くわんのんきうじ》実は大岡越前守を貰ひ、又忠臣蔵ではお軽を貰つた。さて茶番が原来小野のために催されるのだから、道悦に花を持たせて、天一坊と忠臣蔵の勘平とを割り当てた。上原元永は地雷太郎になつた。柏軒、全八郎などにもそれ/″\端役が附いた。次は振附の問題であつた。それは忠臣蔵三段目に清元の出語《でがたり》を出すから、是非入用なのである。幸《さいはひ》柏軒の病家に藤間しげと云ふ踊の師匠があつたので、それを頼んだ。これで稽古には取り掛かることが出来た。一同毎日丸山の伊沢の家に集つて熱心に稽古をした。そして旁《かたは》ら小野の家に舞台を急造し、小道具、衣裳などを借り出すことに尽力した。小野は工面が好くて、薬研堀《やげんぼり》の家は広かつたので、万事都合が好かつたが、只一つ難儀な事には、座敷の向が花道を向つて右に附けねばならぬやうになつてゐた。是はどうにも改めやうがないので、其儘で我慢することにした。残る所は小道具、衣裳の借出しだけである。」
 塩田氏の談話は未だ尽きない。談は此より小道具、衣裳借出しの手段、茶番当日の出来栄に入る。

     その二百八十五

 柏軒が此年甲寅に首唱して、矢島|優善《やすよし》、塩田|良三《りやうさん》の二人が計画し、小野|令図《れいと》の家の祝のために催す茶番の事は、塩田氏の語る所が猶残つてゐる。それは小道具、衣裳の借出しと当日上場の効果とである。塩田氏はかう云つた。
「茶番は其頃随分度々したので、小道具、衣裳を借り出す経験もあつた。それはわたくし共が矢場辰《やばたつ》と云ふ男を識つてゐて、かう云ふ事は大抵此男に頼んで辨ずるのであつた。矢場辰は両国米沢町の鈴木亭と云ふ寄席の主人である。此寄席は昼場に松林伯円の講釈を出してゐた。わたくし共は昼場の定連であつたので、矢場辰と心安くなつた。矢場辰に一人の娘があつて、其頃年は十六であつた。それが女芝居の座頭をしてゐた。原来両国に小屋掛の芝居が二つあつて、てりばと称へられてゐた。其一つは女芝居で、後に市川を名告つた岩井久米八なども此芝居に出てゐた。矢場辰の娘が座頭をしてゐたのは此芝居である。わたくし共は茶番をする時、大抵矢場辰に頼んで此女芝居から小道具、衣裳などを借り出した。そこで今度の茶番にも此手段を用ゐた。舞台を設けた小野の家は薬研堀だから、借りた品物を夜運ぶには、道の近いのが好い都合であつた。薬研堀の小野の邸は、丁度今|七色蕃椒屋《なゝいろたうがらしや》のある地所の真向であつた。借りた品物の中には切落の浅葱幕《あさぎまく》や下座の大大鼓などまで揃つてゐた。しかし中には手製をしなくてはならぬ品もあつた。譬へばお三婆を殺す時に用ゐるまるたなどである。是は細い竹に藁を被《き》せて、其上を紙貼にした。又衣裳にも女芝居から借りた品で間に合はぬものがあつた。譬へばお軽の長襦袢である。忠臣蔵に茶番の落を附けるのだから、お軽にも何か変つた長襦袢を著せたかつた。そこで所々《しよ/\》を問ひ合せて、とう/\緋縮緬の長襦袢の背中に大きな黄色い斑《しみ》の出来たのを手に入れた。さていよ/\当日になつた。最初の天一坊は頗る真面目に出来た。しかし其真面目のために茶番としての面白味が殺《そ》がれた。次にお軽勘平道行の場となつた。是は初より滑稽たつぷりに為組《しく》んだもので、役人替名も良三のおだる、道悦のわん平としてあ
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