此に一の留意すべき事がある。それは第三次文政二年の入京である。果して※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎が此旅をなしたとすると、それは余程|遽《あわた》だしい旅であつたと見なくてはならない。
 何故にさう云ふかと云ふに、菅茶山は文化十四年に「※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎西遊之志御坐候よし、これは何卒晋帥が墓にならぬうちに被成よと御申可被下候」と、蘭軒に嘱した。越えて文政二年に※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎は入京した。そして茶山が神辺にあつて待つてゐるにも拘らず、往いてこれを訪ふことなしに、京都から踵《くびす》を旋したこととなる。己卯には※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎の神辺に往つた形迹が絶無だからである。
 是よりわたくしは此年辛巳の旅を記さうとおもふ。※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎は文政四年に江戸より木曾路を経て京都に入つた。入京の日は四月八日であつた。
 十五年前に蘭軒は同じ街道を京都に往つた。そしてその京に著いたのは発程第十七日であつた。仮に※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎が同じ日数を同じ道中に費したものとすると、※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎の江戸を発した日も、略《ほゞ》推知することが出来る。暦《れき》を閲《けみ》するに文政四年には三月が大、四月が小であつた。今四月八日を以て第十七日とするときは、溯つて第一日に至つて三月二十二日を得る。※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎は概ね三月二十日頃に江戸を立つたものと見て大過なからう。
 ※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎の江戸より京都に至る間、月日の詳《つまびらか》にすべきものが只二つある。其一は三月二十六日に和田駅を過ぎたことである。其二は四月|朔《ついたち》に見戸野々尻《みとののしり》を過ぎたことである。
 蘭軒は旅行の第六日に上和田下和田を過ぎた。※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎が二十日に上途《しやうと》したとすると、二十六日は第七日となる。次の「見戸野々尻」は三富野《みとの》、野尻であらう。蘭軒は第十日に野尻を経た。※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎の旅の四月朔は第十一日となる。日程は大抵符合するやうである。
 ※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎は京都に着いて、福井|榕亭《ようてい》を訪ひ、稲荷祭、御蔭祭を観て、十四日に書を蘭軒に寄せた。此書牘が文淵堂所蔵の花天月地《くわてんげつち》中に収めてある。わたくしは下に其全文を写し出さうとおもふ。

     その百十四

 狩谷※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎が此年辛巳四月十四日に京都から蘭軒に寄せた書牘はかうである。
「追日向暑、倍《ます/\》起居御安和可被成御座奉恭賀候。京都|総而《そうじて》静謐、僕等本月八日入京仕候。途中雨|少《すくな》にて、僅一両日微雨に逢候|而已《のみ》、只入京之日半日雨降申候。」
「上州長尾春斎(草屋の弟子)世話にて、神亀之古碑共一覧、其後|多胡碑《たごのひ》も観申候。」
「木曾桜|※[#「酉+余」、第4水準2−90−36]※[#「酉+靡」、第4水準2−90−45]《やまぶき》殊妙、其外花盛に御座候而驚目申候。総而木曾之山水、豚児輩感心仕候。僕も一昨年より増り候様に覚申候。御紀行毎夕読候而御同行仕候様に奉存候。乍去余程涼気にて、日限延引を却而悦申候。和田駅(三月廿六日)など綿衣四襲位之事に御座候。乍然暑中よりは歩行致能御座候。尤一人も駕籠馬の力を借り不申候。(日程七八里故。)朔日《ついたち》(四月)見戸野々尻辺花猶盛に而珍しく、歌あり。花の香ををしむのみかは谷風にころもかへうき木曾の山道。御笑可被下候。今朝抜た綿ではないか谷ざくら。松宇君へ御つたへ可被下候。」
「福井へ尋申候。甚よく遇せられ、昨年断被申候事途中之間違のよし等被申候。何より以家屋園池之結構、小障子一枚といへども、一草一礫といへ共、みな/\心を用ひ、額聯之数は黄檗山より多く、すきま/\はアンヘラにてはりつめ、中々千金二千金之用途にて作り候物に無之、露台、庭の檻《てすり》、朱緑間錯、釣燈籠凡三百にあまり申候。実に田舎漢《でんしやかん》の京の門跡を始而見候より驚申候。但し工《たくみ》ときたな細工とを以組詰たるものにて、僕など三日も右之家に居候ものならば、大病に相成候事相違有之まじく被存候。此後数度参候而珍蔵乞可申所存に候へども、但右之一儀に迷惑いたし居申候。」
「稲荷祭。」
「御蔭祭。」
「古雅結構、面《おもしろ》き事に御座候。(森云。面の下原文白字を脱す。)土佐画の画工等、或は社頭の式を観《み》をみる人あり。(森云。をみ二字衍文。)或は路中行装を観《みる》もの有、洛東にて騎馬音楽
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