遂に死去。即夜十時出葬。」「九日。晴。純法童子初七日逮夜之処、挙家痢疾に付招客略す。」純法童子は三郎の法諡《はふし》である。庚午八月二十五日の生であつたから、六歳にして歿したのである。文中「挙家痢疾」の四字は注目に値する。按ずるに当時|痢《り》が備後地方に行はれて、棠軒の家族は皆これに感染し、三郎が独り先づ殪《たふ》れたのではなからうか。
棠軒が日録の筆を絶つた次の日、乙亥十一月十日に東京にある森枳園が書を棠軒に与へた。下にこれを節録する。「昨年来蘭軒医談遺板に付て補刊仕《ほかんつかまつり》、前の板下書候梶原平兵衛も既に歿後、不得已《やむをえず》拙筆にて補板仕候。(中略。)外に以呂波字源考一冊、詩史顰《ししひん》一冊、共に上木仕候。(中略。)市野|光彦《くわうげん》の家、跡方もなく断絶の様子。町人の学者はわづか三右衛門といへる川柳点《せんりうてん》も、※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎翁は誰も知れど、迷庵は誰も知らず、因て之を刻し世に公にせば、少年、抽斎と同じく升堂《しようだう》したる報恩の一端にも可相成乎と、拙筆を以て刊行仕候。(中略。)巻首の四大字は東久世通禧《ひがしくぜみちよし》公、次は養素軒柳原大納言|前光《さきみつ》公、愛古堂磐渓、秋月公、大給亀崖《おぎふきがい》公(即松平|縫殿頭《ぬひのかみ》の事也)、跋は片桐玄理と申せし家塾に居りし御存之者《ごぞんじのもの》、今文部の督学寮に出仕いたし居申候。僕も壬申以来文部へ出仕、間もなく被免《めんぜられ》、医学校へ出、編書課に在、亦免官、朝野新聞に入、成島柳北と相交《あひまじはり》、夫より工学寮の本朝学課長となり、十月来又々被免、此節は閑無事《かんぶじ》、書肆の頼に付、真片仮名《しんかたかな》の雑書編成仕居候。(中略。)狩谷此節上野広小路へ御引越、是亦平安也。(中略。)喜多村安正類中を発す。関藤藤陰も亦発す。塩田|良三《りやうさん》益盛なる勢、この驥尾に附て矢島玄碩、井口栄春の類《たぐひ》も官員様大出来也。阿部|正学《まさたか》公も御出府之処、其節|正桓《まさたけ》公に随従して、日光へ参詣いたし候故、遂に不得相見、残念至極に奉存候。(中略。)出府にても何も別段之事も無之、先旧習は追々脱し候様には候へども、とかく日本と唐《から》好きにて、中々|不相易《あひかはらず》一寸も引けは取不申候。」(下略。)
枳園は既に蘭軒医談を校刻して、又自著以呂波字源考、市野迷庵撰詩史顰を校刻した。蘭軒医談の筆工は梶原平兵衛で、其補筆は枳園の手に成つた。以呂波字源考がわたくしの未見の書なることは上《かみ》に云つた如くである。詩史顰も亦未だ読まぬが、渋江氏は曾てこれを蔵してゐたと云ふ。其序跋の事は本文に詳《つまびらか》である。
「市野光彦の家、跡方もなく断絶の様子。」迷庵|光彦《くわうげん》の子は光寿《くわうじゆ》で天保十一年に歿し、光寿の子|光徳《くわうとく》は父に先《さきだ》つて天保三年に歿し、光徳の子源三郎、後の称寅吉は当時亀島町に住してゐた。所謂断絶は書香《しよかう》の絶えた事を謂ふものと看るべきである。
この書牘《しよどく》には猶注すべき事がある。
その三百六十六
明治乙亥十一月十日に森枳園が棠軒に与へた書は、既に注する所を除いて、猶枳園の壬申以後の内外生活を後に伝ふるものとして尊重しなくてはならない。内生活は末の「日本と唐好き」の一節に由つて忖度《そんたく》せられる。外生活は早く寿蔵碑に、「五月至東京、是月廿七日補文部省十等出仕、爾後或入医学校為編書、或入工学寮為講辯」の句があるが、これを此書の「壬申以来文部へ出仕」云々《しか/″\》の一節に較ぶれば、広略日を同じうして語るべからざるものがある。わたくし共は此書を見て、枳園が己卯に大蔵省に仕ふるに先《さきだ》つて、文部省出仕、医学校編修、朝野新聞記者、工学寮課長を順次に経歴したことを知つた。是は未だ嘗て公にせられなかつた新事実である。
次に此書中より見出されたのは、狩谷※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎の養孫矩之が本所横川より上野広小路に徙《うつ》つた時期である。わたくしは上《かみ》に此移居が明治五六年の交《かう》であつたと云ふ一説を挙げた。枳園の「此節」は三年前若くは二年前を謂つたものではなささうである。矩之は或は乙亥に入つてより後に徙つたのではなからうか。曾能子刀自は此広小路の家を記憶してゐる。大抵今杉山勧工場のある辺の裏通にあつて、土蔵造の三階であつたと云ふ。
わたくしは此に一の疑問を提起する。それは狩谷|従之《じゆうし》の事である。※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎望之の後は其子懐之、懐之の養子矩之、矩之の子三|市《いち》で、三市さんは現に小石川区宮下町に住んでゐる。然るに安政
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