全」の字を句首に用ゐて作つたものである。
 一月二十四日に棠軒は家禄に換へた金を受けた。「二十四日。(一月。)晴。於小田県公債証書買上代御渡相成に付、受取に出頭可致之処、差合に付為名代尚差出、金百二十五円、二分引に而金百円受取候事。」(節録。)名代「尚《ひさし》」は上《かみ》にも見えた飯田安石の子である。
 二月十五日に棠軒の子|季男《すゑを》が生れた。「十五日。(二月。)陰。午後雨。夜九字安産、男子出生。」「廿一日。晴。出生七夜季男と名く。出産之届出す。」
 三月二十九日に森枳園の許より「いろは字原考」二冊が来た。「廿九日。(三月。)陰。東京森よりいろは字原考二冊到来。」いろは字原考は枳園の著す所で、其刊行の事は下《しも》に引く書牘《しよどく》に見えてゐる。此書は世間に多く存せぬらしく、わたくしは未だ寓目しない。又国書解題を検したが見えなかつた。
 五月八日に棠軒は「姫路鳥取行」の途に上つた。是は姫路に妹婿|土方伴《ひぢかたはん》六|正旗《せいき》を訪ひ、鳥取に顕忠寺中の兄田中悌庵が墓を展したのださうである。
「八日。(五月。)晴。今夜姫路鳥取行乗船。但安石同伴夜四つ時前|四《よ》つ樋《ひ》より竹忠船《たけちゆうふね》へ乗込。直出帆。」
「九日。晴。昼九つ時頃讚州|多度津湊《たどつみなと》へ著船。金刀比羅宮《ことひらのみや》参拝。夜五つ時頃人車に而《て》帰船。」
「十日。晴。多度津碇泊。」
「十一日。晴。暁出帆。暫時|与島《よしま》へ碇休。夕|出崎《でさき》碇泊。」
「十二日。晴。夜大風。暁出帆。小豆島へ碇泊。」
「十三日。風雨。同所碇泊。」
「十四日。晴。天明《てんめい》出帆。午刻頃播州|伊津湊《いつみなと》へ著船。同所より姫路迄四里半。此より上陸。三所川あり。何《いづれ》も昨雨に而出水。暮時姫路城内桐の馬場土方に著。」土方伴六は酒井忠邦の倉奉行であつた。贈遺を記する文中に「お柳」、「お作」の名があり、又「お作婿山本又市、今名《きんめい》もちよし」と云つてある。棠軒の妹にして伴六の妻なる烈に柳、作、久の三女があつた。柳は坂本氏に適《ゆ》き、作は山本氏に適き、久は長野氏に適いた。
「十五日。晴。逗留。」
「十六日。晴。午刻より土方出立。手尾《てを》迄伴六|亀児《かめじ》送来。夫より分袂《ぶんべい》。飾西《しきさい》、觜崎《はしざき》、千本《せんぼん》、三日月《みかづき》也。觜崎より人車に而暮過三日月駅石川吉兵衛へ著。」亀児とは誰か。伴六の女久が長野氏に嫁して生んだ四子は、義雄、亀次郎、悦三郎、信吉である。亀次郎は今参謀本部陸地測量部技師である。亀児は此人であらう。
「十七日。晴。朝飯より出立。人車に而|平福《ひらふく》迄、当駅より小原《おはら》迄、夫より坂根《さかね》迄人車行。此日|駒帰《こまがへり》迄|大難坂《だいなんばん》也。夫より知津《ちづ》駅迄下り坂。当駅桝屋善十郎へ著。」
「十八日。晴。朝飯より出立。用《よう》が瀬《せ》迄小坂五六あり。当駅より人車に而|布袋《ほてい》村迄、夫より歩行、午後一時頃|味野《あぢの》村へ著。」
「十九日。雨。信慶実家森本善次郎へ被招行飲《まねかれゆきのむ》。」信慶は田中悌庵の養子である。此より日々招宴遊宴等がある。
「廿七日。晴。朝微雨。夕陰《ゆふべくもる》。とめ女召連、天明味野出立。上之茶屋《かみのちやや》迄同人|駕行《かごにてゆく》。当所迄信慶(中略)送来。夫より人車三乗、用が瀬より駕一挺、知津に而午支度。夫より歩行。野原駅松見屋某へ著。甚《はなはだ》※[#「鹿/(鹿+鹿)」、第3水準1−94−76]《そ》。」とめ女は田中悌庵の第七女で今の木下大尉|通敏《みちとし》さんの母である。
「廿八日。夜来雨。午前九時頃出立。風雨。関本駅とめ乗輿《じようよ》。水島善四郎止宿。」
「廿九日。雨。午後より漸晴。早昼支度に而出立。とめ駕行。楢村《ならむら》より歩行。夕七つ時津山京町大笹屋に著。大家也。」
「三十日。晴。朝飯より人車三乗に而出立。亀の甲より歩行。又|弓削《ゆげ》より人車。福渡《ふくわたり》より駕一挺。夕七時前|間《あひ》の宿《しゆく》久保に而藤原沢次郎へ著。」
「三十一日。晴。朝飯より駕一挺|為舁《かゝせ》出立。高田より歩行。足守《あしもり》より中原迄人車。又岡田より人車に而夕八半時頃|矢掛《やかけ》駅小西屋善三郎へ著。」
「六月一日。晴。午前十時頃出立。駕一挺|高屋《たかや》迄。同所より人車三乗。暮時帰宅。」

     その三百六十五

 棠軒は明治乙亥六月一日に鳥取から吉津村の家に帰つた。
 日録は此より下《しも》十一月九日に至つて絶えてゐる。其間記すべきものは棠軒の子三郎の死があるのみである。「四日。(十月。)晴。昨夜より三児不快不出来に付、安石同道水呑辺釣行約之処止。午後三時
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