|樵山《せうざん》との歿した年である。朴斎の死は行状に拠るに一月十一日|戌牌《じゆつはい》で、年を饗《う》くること七十七であつた。墓表は小野湖山が撰んだ。其末に銘に代へて絶命の詞《ことば》が刻してある。「父母教吾学仲尼。滔々天下変為夷。病而不死亦良苦。待尽青山埋骨時。」朴斎の生涯は西洋嫌を以て終始してゐる。棠軒が此人の死を録せなかつたのを見れば、棠軒と門田氏との間には親交が成り立つてゐなかつたかも知れない。
 渡辺樵山は十二月十八日に東京渋谷村に歿した。年五十三であつた。わたくしは上《かみ》に榛軒が此人を請じて経を講ぜしめたことを記し、後に慊堂《かうだう》日暦中より、其父の※[#「くさかんむり/衡」、第3水準1−91−39]園《かうゑん》と号したことを検出して補つた。しかし安井息軒が樵山の墓に銘したことを知らずにゐた。それは息軒遺稿が偶《たま/\》これを載せてをらぬ故である。
 頃日《このごろ》事実文編を繙閲して、図《はか》らずも息軒撰の墓碑銘を発見した。樵山の系は源融《みなもとのとほる》の曾孫渡辺綱から出でてゐる。「父諱昶。字奎輔。以医仕膳所侯。娶才戸氏。生君于江戸鱸坊之僑居。」按ずるに慊堂日暦の※[#「くさかんむり/衡」、第3水準1−91−39]園は此|昶《ちやう》である。昶は或は「とほる」と訓ませたものではなからうか。膳所《ぜぜ》侯は本多隠岐守|康融《やすとほ》である。「鱸坊」は今の京橋区鈴木町である。本多家の上屋敷が南八丁堀にあつたから、※[#「くさかんむり/衡」、第3水準1−91−39]園は鈴木町に住んでゐたのである。
「年甫十一。奎輔得疾。自知不起。托君及弟璞輔於慊堂松崎先生。輿疾帰近江。未幾歿。二孤皆有才。先生愛之。視猶子。嘗贈之詩曰。吾園梅百樹。汝独可超凡。及慊堂先生歿。以遺命守羽沢草廬三年。既而卜居青山。生徒漸進。万延庚申九月。釈褐於紀藩。(中略。)元治甲子。幕府有召見之命。三月謁二条城。(中略。)慶応乙丑。参枢機。(中略。)明年十一月遷小姓頭。明治戊辰。拝奥祐筆組頭。累遷参政。三年五月。免参政。」※[#「くさかんむり/衡」、第3水準1−91−39]園が樵山と其弟とを松崎慊堂の石経《せきけい》山房に託して近江に帰つたのは、天保二年である。弟|璞輔《はくすけ》は慊堂日暦の百助である。慊堂の歿した弘化元年より三年間石経山房を守つてゐたとすると、樵山は二十四歳より二十七歳に至る間|羽沢《はねざわ》にゐたのである。さて弘化四年中に樵山は青山に徙《うつ》つたであらう。万延元年紀州藩に仕へた時は、樵山は四十歳であつた。紀州藩は猶中納言|茂承《もちつぐ》の世であつた。元治元年に将軍家茂に謁した時は、樵山は四十四歳であつた。
 若し此|年立《としだて》にして誤らぬならば、樵山が経を伊沢氏に講じた月日は、羽沢時代より青山時代に及んでゐる筈である。
 わたくしは此に狩谷氏移居の事を附記したい。一説に狩谷|矩之《くし》が本所横川の津軽邸より上野広小路に移つたのは、明治五六年であつたと云ふ。しかし是は稍後の事であつたらしい。猶|下《しも》にこれに言及しようとおもふ。
 此年棠軒四十、妻柏三十九、子徳十五、三郎四つ、女長二十、良十八(以上福山)、磐二十五、弟平三郎十三、姉国三十、妹安二十二、柏軒の継室春四十九(以上東京)であつた。

     その三百六十一

 明治七年は蘭軒歿後第四十五年である。棠軒は又歳を福山に迎へた。一月中には事の記すべきものが無い。二月十一日に子|徳《めぐむ》を算術の師村田某の許へ遣つた。「十三日。晴。一昨日より徳村田某へ数学稽古に行。」是月棠軒は書を東京にある関藤藤陰《せきとうとういん》に寄せた。「廿三日。(二月。)陰。午後晴。阿部近日東京出立に付、分家、清川、森、関藤(菓子料二百疋添)等へ書状出す。」藤陰は二年前の冬より東京に来てゐたのである。癸酉歳旦の詩の引に、「余自壬申冬、来在藩主阿部氏本所横網邸」と云つてある。阪谷朗廬《さかたにらうろ》はかう云つてゐる。「会廃藩命下。正桓君例以華族。移住東京。而家制不定。衆以為非招先生不可。強以賓師委重。先生弗得辞。曰骸骨竟有宿縁於東地歟。便復移家。経理画一。更選人授之。絶交閑居。賦詩自楽。」想ふに棠軒の書を寄せた時には、藤陰は既に閑散の身となつてゐたであらう。棠軒の書を託した阿部は阿部|正貫《まさつら》である。己巳席順の「百八十石、家扶、阿部小重郎、四十三」と同人であらうか。分家|磐《いはほ》、清川安策、森枳園との間には、此前後に雁魚《がんぎよ》の往復があつたが、省《はぶ》いて抄せなかつた。
 五月に棠軒が子徳を算術の師関某の許に遣つた。「九日。(五月。)徳今夕より関へ数学入門。」三たび師を更《か》へたのであらうか。是月の末に東京にある藤陰が書を棠軒に寄せた。其文
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