候はゞ中旬頃御発駕も可有之哉、聢《しか》と不存候。手前|事者《ことは》身健《みすこやかに》、心中平安喜楽、其地之事者常敬策三子被相守、毫も案思《あんじ》不申、但其地に而怖畏致居候と案思候。乍併兼与大小神祇、乍恐同心合意候間、一切災害不加正直忠信之人祈願仕候間、其地吾一家に不限、知識正真忠心善意善行之者被災害事者決無之、一統莫有怖畏存候。吾一家之|外者《ほかは》、狩谷、川村、清川、其外え御伝示可被給候。唯一途に正真忠信に奉神奉先接人憐物関要に候。尚後便可申候。去《さんぬ》る先月廿九日石清水参詣致、別而難有感信致、別而家内之事大|安心《こゝろをやすんじ》候。尚後便可申候。目出度以上。卯月四日。磐安。常庵殿。敬順殿。安策殿。徳安殿。昨三日良三往伏見、立賢に逢、悉其地容子《そのちのようすをつくし》、承知候。以上。」
その三百十九
わたくしは日記|尺牘《せきどく》等に拠つて柏軒の癸亥|淹京《えんけい》中の事を叙し、四月四日に至つた。
中一日を隔てゝ五日は柏軒が二条の城に宿直した。日割は六日であつたのを、繰り上げてもらつた。
是は前月二十二日に江戸を発して福山に向ふ棠軒と会見せむがために、六日に伏見に赴く地をなしたのである。
六日には柏軒が暇を乞うて伏見に往き、棠軒を見たらしい。此二日間の事は下《しも》の書牘がこれを証する。書牘は良子刀自の蔵する所である。「手紙披見、不勝大悦候《たいえつにたへずそろ》。去月十八日出立と承知、其後廿二日出立と承知、其日数より長頸相遅《ちやうけいあひまち》、必|欲一長見候《いつちやうけんせむとほつしそろ》。数《しば/\》大津迄人遣候。必一見、既に今日当番、繰合昨夜相勤置程に相見渇望。従是僕直に伏見迄参候。路費乏少困入察候得共、何如様共可致、誰か少病気と称し、枉《まげ》て今夜者伏見に滞留可被致存候。いろ/\書たきことあれども、心中動気致、筆まわらず、いづれ面上目出度可申、以上。四月七日。磐安。春安殿。」棠軒良安は六年前より春安と称してゐたのである。
中三日を隔てて十一日には、孝明天皇が石清水八幡宮に行幸せさせ給ひ、将軍家茂は供奉しまゐらする筈であつた。わたくしの手許には当時の史料とすべき文書が無い。しかし聞く所に従へば、此行幸は天皇が家茂に節刀を賜ひ攘夷を誓はしめようと思召したのであつた。それゆゑ家茂は病と称して供奉せず、一橋
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