ぜられ、癸亥三月二十二日に発※[#「車+刄」、第4水準2−89−59]《はつじん》したのである。棠軒公私略に「三月廿二日、妻子及飯田安石家内之者召連、福山え発足」と云つてある。
此頃京都に於ては、一旦将軍帰東の沙汰があつて、其事が又|寝《や》んだと見える。良子刀自所蔵の柏軒の書牘《しよどく》がある。「御発駕も廿一日之処御延引、廿三日も御延引、未だ日限被仰出無之候。何れ当月内には御発駕と存候。(下略。)三月廿四日。磐安。徳安郎へ。」本文末段は柏軒が徳安に出迎の事を指図したものゆゑ省略した。
わたくしは此より復《また》柏軒の日記に還る。
「廿九日。石清水八幡宮に参り拝む。(下略。)」
「卅日。雨。」
「卯月|朔日《ついたち》。雨。新日吉《しんひえ》神社、佐女牛《さめうし》八幡宮両所へ参る。(下略。)」
「二日、寅日。朝雨、昼より晴る。大樹公巳刻御参内なり。御供揃五つ半時、其少しく前伯元等と御先に施薬院へ御入にて、午の半刻頃二た綾の御直衣《おんなほし》にて御参内、引続き一橋中納言殿も御参内あり。御饗応ありて、主上、時宮、前関白殿、関白殿、大樹公、近衛殿へは吸物五種、御肴七種、配膳の公卿は吸物三種、肴五種なりとぞ。大樹公へは天盃を賜り御馬を賜る。御盃台は柳箱《やないばこ》、松を著け、松に鬚籠《ひげこ》を挂《か》く。夜戌の半刻頃御退出にて、亥刻前施薬院を御立ち、伯元等と亥刻に旅宿へ帰る。(下略。)」「主上」は孝明天皇、「時宮」は皇太子、「前関白」は近衛前左大臣|忠※[#「熈」の「ノ」に代えて「冫」、第3水準1−87−58]《たゞひろ》、「関白」は鷹司前右大臣|輔※[#「熈」の「ノ」に代えて「冫」、第3水準1−87−58]《すけひろ》、「近衛」は近衛大納言忠房である。
「三日、卯日。天晴れ熱し。廬山寺の元三大師御堂へ参る。」是日柏軒が塩田良三を伏見へ遣つて、竹内立賢に会談せしめ、江戸の近況を知つたことは、次に引くべき書牘に見えてゐる。
柏軒の日記は此に終る。
四日には柏軒が郷に寄する書を作つた。此書は富士川氏の蔵する所である。「公方様益御安泰に被為在《あらせられ》、難有事に御坐候。次に手前壮健平安に候。其地も静謐に相成様承知候。何分公方様御事禁庭様御首尾大に宜《よろしく》被為在に付、御発駕も御延に相成候御容子、来る十一日石清水八幡宮に行幸有之、公方様御供奉被遊候。右相済
前へ
次へ
全567ページ中484ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング