は志村|良※[#「りっしんべん+豈」、第3水準1−84−59]《りやうがい》さんが記憶してゐる。是も亦洋方医である。
 其他此行には扈随の侯伯にして医官を率《ゐ》て行くものが多かつた。一橋中納言|慶喜《よしのぶ》の下《もと》に清川安策孫の養嗣子温の生父水谷丹下のあつたなどが其一例である。

     その三百十四

 癸亥の歳将軍徳川家茂が上洛した時、柏軒は随行を命ぜられた。そして汽船咸臨丸に乗らなくてはならなかつた。是は西洋の機巧を憎む柏軒の忍ぶこと能はざる所であつた。わたくしは上《かみ》に柏軒が奥医師の地位を賭《と》して上船を辞せむと欲したことを記した。此乗船問題は松田氏の語る所であるが、伊沢良子刀自は当時多紀安琢、津軽玄意の柏軒がために草した歎願書を蔵してゐるから、わたくしは此に抄出して松田氏の談を補はうとおもふ。
「磐安儀此度|不奉存寄《ぞんじよりたてまつらず》、御上洛御供被仰付難有仕合奉存候。且御船にて御供仕候様被仰付、是亦重畳難有仕合奉存候。」
「然るに当人乗船致候得者、兼而眩暈之気味に而《て》難儀致候得共、乗船御供被仰付候と申候者、格別之儀と奉存候間、中々御断之願者難申出|黙止《もだし》居候得共、先月末当月初両度之|乗様《のりだめ》しに、御医師中に者《は》指而《さして》難儀之者も無御坐候得共、御小姓御納戸之中に者《は》、船中眩暈|嘔逆《おうぎやく》に而難儀之人も有之候様承及候。当人格別病身と申に者無之候得共、平生船中は勿論|総而《すべて》動揺致候事強候節嘔吐致、甚に至候而者嘔吐之上|泄瀉《せつしや》致候持病御坐候。左候得者乗船仕候得者持病差起候者必然之儀と奉存候。当人病気に而者船中に而乗組之内に病気之者御坐候共、中々療治致候事難相成、将亦《はたまた》上陸之後も必疲労仕候而、御用有之候共相勤候儀無覚束奉存候。」
「当時|御上《おかみ》に者《は》御一体御強健に被為在候而《あらせられそろて》、且蘭科御療治御薬差上候事故、漢科之者御供不仕候共、御用之|御間《おんま》不欠儀《かけざるぎ》と奉存候得共、誠に万々一之御備に漢科之者御供被仰付候儀と奉存候。」
「然るに当人船中に而嘔吐且泄瀉等相煩候而者、船中病用相勤候儀難相成者勿論、又上陸致候而も万々一急速之御用御坐候共、相勤候儀不相成候而者乗船に而御供仕候も無詮儀《せんなきぎ》と奉存候。且当人御供被仰付難有奉存候本意
前へ 次へ
全567ページ中478ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング