白、本磯野氏、名は元亮《もとあきら》、通称は勝五郎であつた。文化八年生で、榛軒より少きこと七歳であつたことは上《かみ》に見えてゐる。父某が阿部家に仕へて武具を管してゐると、其同僚が官物を典して銭を私したので、連坐せられて禄を失つた。当時貞白は既に妻があつた。妻は公卿の女《むすめ》であつた。貞白は父母、妻、一弟二妹、一子と共に小島宝素の邸に寄寓した。
 貞白は素《もと》頗《すこぶる》医薬の事を識つてゐたので、表向榛軒の門人となり、剃髪して技を售《う》ることとなつた。その石川氏を冒し、貞白と称したのは此時である。
 貞白が開業の初に、榛軒は本郷界隈の病家数十軒を譲り与へて、其一時の急を救つた。一家八人は此に由つて饑渇を免れた。
 渋江保さんは当時の貞白の貧窶《ひんる》を聞知してゐる。貞白は嘗て人に謂つた。「己の内では子供が鰊※[#「魚+而」、第3水準1−94−40]《かずのこ》を漬けた跡の醤油を飯に掛けて、饅飯だと云つて食つてゐる」と云つた。又或日貞白は柏軒の子鉄三郎を抱いて市に往き、玩具《おもちや》を買つて遣らうと云つた。貞白は五十文から百文まで位の物を買ふ積でゐた。すると鉄三郎が鍾馗の仮面《めん》を望んだ。其価は三両であつた。貞白は妻の頭飾《かみのもの》を典してこれを償うた。柏軒は後に聞き知つて気の毒がり、典物を受け出して遣つた。鉄三郎は榛軒の歿年に四歳になつてゐた。
 貞白は機敏であつた。その伊沢分家、同又分家、渋江氏等と交つて、往々諸家の内事を与《あづか》り聞いたことは、わたくしの既に屡《しば/″\》記した所である。
 貞白は学を好んで倦まなかつた。医学よりして外、国語学に精《くは》しく、歌文を作つた。榛軒の家に開かれた源氏物語の講筵には、寿阿弥と此人とが請ぜられた。又善書であつた。夜書を読んで褥に臥せず、疲るゝときは頭に羽織を被つて仮寐《かび》した。
 貞白は酒を嗜《たし》んだ。そして動《やゝ》もすれば酔うて事を誤つた。榛軒は屡|※[#「にんべん+敬」、第3水準1−14−42]《いまし》めたが功が無かつた。終に「己が廃めるから一しよに廃めるが好い」と云つて、先づ自ら湯島の天満宮に祈誓して酒を断つた。貞白は大いに慙ぢてこれに倣つた。
 貞白の弟は或旗下の家の用人が養つて嗣とした。二妹は一は慧《けい》、一は痴《ち》であつた。
 渋江|恒善《つねよし》は抽斎|全善《
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