ぬ分疏などはしない。実に才子だ」と云つた。
 枳園が禄を失つて相模に居た時、榛軒が渋江抽斎等と共に助力し、遂に江戸に還ることを得しめたことは上《かみ》に見えてゐる。
 渋江抽斎も亦榛軒が友として交つた一人である。そして榛軒より少きこと僅に一歳であつた。曾能子刀自はかう云ふことを記憶してゐる。或日柏軒、抽斎、枳園等が榛軒の所に集つて治療の経験談に※[#「日/咎」、第3水準1−85−32]《ひかげ》の移るを忘れたことがある。此時終始緘黙してゐたのは抽斎一人であつた。それが穉《をさな》い柏《かえ》の注意を惹いた。客散ずる後に、柏は母に問うた。「渋江さんはなぜあんなに黙つてお出なさるのでせう。」母は答へた。「さうさね。あの方は静な方なのだよ。それに今日はお医者の話ばかし出たのに、あの方はどつちかと云ふと儒者の方でお出なさるからね。」
 金輪寺混外《こんりんじこんげ》は蘭軒の友で、蘭軒歿後には榛軒と交つた。榛軒は数《しば/\》王子の金輪寺を訪うた。曾能子刀自はかう云ふことを記憶してゐる。某年に榛軒は王子権現の祭に招かれて金輪寺に往つた。祭に田楽舞があつた。混外は王子権現の別当であつたので、祭果てて後に、舞の花笠一|蓋《かい》を榛軒に贈つた。
 榛軒は花笠を轎《かご》に懸けさせて寺を出た。さて丸山をさして帰ると、途上近村の百姓らしいものが大勢轎を囲んで随ひ来るのに心附いた。榛軒は初めその何の故なるを知らなかつた。
 行くこと数町にして轎丁《けうてい》が肩を換へた。其時衆人中より一人の男が進み出て榛軒に「お願がございます」と云つた。その言ふ所を聞けば花笠を請ふのであつた。当時此祭の花笠を得て帰れば、其村は疫癘を免れると伝へられてゐるのであつた。
 寿阿弥の事は上《かみ》に見えてゐるから省く。曾能子刀自の言《こと》に拠れば、長唄の「初子」は寿阿弥の作である。

     その二百七十三

 わたくしは上に榛軒の友人並知人の事を列叙した。然るに嘗て曾能子刀自に聞く所にして全く棄つるに忍びざるものが、尚二三ある。姑《しばら》く其要を摘んで此に附して置く。実は鶏肋《けいろく》である。
 村片相覧《むらかたあうみ》は福山藩の画師で、蘭軒の父|信階《のぶしな》の像、蘭軒の像等を画いた。相覧が榛軒の世に於て伊沢氏に交ること極て親しかつたことは、榛軒が福山に往つてゐた間、毎日留守を巡検したと云ふ
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