徳《めぐむ》さんの云ふには、前に引いた七代目の書牘《しよどく》に「坂の若先生」と云ふのは、此玄丈の子玄真ではなからうかと云ふことである。市川の家では七代目も八代目も数《しば/\》榛軒の治を受けた。河原崎権之助の女ちかが佝僂病《くるびやう》に罹つた時も、此縁故あるがために榛軒が診療した。権之助は九代目団十郎の養父である。
 榛軒の貧人を療した事に就いては種々の話があるが、今一例を挙げる。福山藩士に稲生《いなふ》某と云ふものがあつた。其妻が難産をして榛軒が邀《むか》へられた。榛軒は忽ち遽《あわた》だしく家に還つて、妻志保に「柏《かえ》の著換を皆出せ」と命じ、これを大袱《おほぶろしき》に裹《つゝ》んで随ひ来つた僕にわたした。是は柏が生れて日を経ざる頃の事であつた。稲生氏は小禄ではなかつたが家が貧しかつた。それに三|子《ご》が生れたのであつた。曾能子刀自は云ふ。「わたくしは赤子の時に著の身著の儘にせられたのですが、其後もさう云ふ事が度々あつたのでございます。」

     その二百七十一

 治を榛軒に請うた病家中、其名の偶《たま/\》曾能子刀自の記憶に存してゐるものが二三ある。それは榛軒が其家に往来した間に、特に記憶すべき事があつたからである。
 高束《たかつか》翁助は不眠を患《うれ》へた。榛軒はこれに薬を与へた時、翁助の妻を戒めて云つた。「是は強い薬ですから、どうぞ分量を間違へないやうにして下さい」と云つた。然るに或夜翁助は興奮不安の状が常より劇《はげ》しかつたので、妻は竊《ひそか》に薬を多服せしめた。翁助の興奮は増悪した。後には「己の著物には方々に鍼がある」と叫んで狂奔し、動《やゝ》もすれば戸外に跳り出でむとした。妻は榛軒の許に馳せ来つて救を乞うた。榛軒は熟々《つく/″\》聴いた後に、其顔を凝視して云つた。「薬の分量を間違へはしませんでせうね。」翁助の妻は吃りつつ答へた。「まことに済みませんが、今晩はいつもより病気がひどく起りましたので、少し余分に飲ませました。」榛軒は色を作《な》した。「大方そんな事だらうと思ひました。あなたはわたくしを信ぜないで、わたくしの言附を守らないのですから、此上は療治をお断申します。」云ひ畢《をは》つて榛軒は座を起つた。翁助の妻は泣いて罪を謝した。榛軒は将来を飭《いまし》めた後に往診した。榛軒は門人に薬量の重んぜざるべからざるを説くに、毎《
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