第三十三銀行頭取川村|伝《つたふ》さんの祖父である。
什器は青銅で鋳たもので、酌源堂の文が鐫《せん》してある。其酒爵は聖堂に於て釈菜《せきさい》に用ゐるものを模したのである。川村氏は長崎の工人に命じて此什具を鋳造せしめた。然るにこれを載せて長崎より江戸に至る舟は覆没した。
一年の後、川村氏は既に什器の事を忘れてゐると、或日品川へ一の匣《はこ》が漂着した。幸に封緘|故《もと》の如くで、上に題した宛名も滅《き》えなかつたので、此エパアヴは川村氏の手に達した。川村氏は匣を携へて榛軒の所に至り、共に開いて検するに、四器一も毀損せずにゐた。関帝像、厨子、什器、皆現に徳《めぐむ》さんの家にある。
関帝祭器の漂著は事既に奇である。しかし此に猶一奇事の附載すべきものがある。榛軒は関帝を祭る日に、先づ本所の五百羅漢寺に詣《いた》つて原像を拝し、次で家に還つて※[#「墓」の「土」に代えて「手」、第3水準1−84−88]像を祭るを例とした。某年に本所に往つて関帝の前に拝跪し、さて身を起さむとすると、手に一物が触れた。取り上げて見れば小柄《こづか》であつた。更に熟視すれば、※[#「木+覇」、第4水準2−15−85]上《はじやう》の象嵌は関帝であつた。遺失者を訪ぬる道もないので、榛軒は持つて帰つた。此小柄は後請ふ人があつて譲り与へた。
榛軒は関帝を祭る日に、客に卓子《しつぼく》料理を饗した。円卓の一脚に機関があつて回転するやうにしてあつた。中央に円い皿一枚、周匝《めぐり》に扇形の皿八枚を置いた。扇形の皿には各別種の※[#「肴+殳」、第4水準2−78−4]《さかな》を盛つてあつて、客は卓を旋廻して好む所の※[#「肴+殳」、第4水準2−78−4]を取ることが出来た。
わたくしは前に榛軒の書斎に、関帝を除く他《た》、菅公と加藤肥州との像が安置してあつたと云つた。菅公像は太宰府天満宮の飛梅を材として刻したもの、又加藤肥州像は熊本より勧請《くわんじやう》し来つたものであつた。
七月の盂蘭盆会には毎歳大燈籠を貼らせ、榛軒が自ら達磨を画いた。
歳暮が近づけば屠蘇を調合する。其準備は十二月の半に始まる。調合の日は二十日である。是日には柏軒も来り、外弟子も来り、塾生と共に調合して、朝より夕に至る。其室には女子の入ることを許さない。幕府と阿部家とに献ずるものは、薬袋《やくたい》に題する屠字の右肩に
前へ
次へ
全567ページ中410ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング