恰山禽呼屋角。暉暉旭日上梅梢。青洲従事頻通好。白水真人久絶交。諸子精研尤可喜。先生自此酔東郊。」榛軒詩存巻首の詩である。尋で「嘉永四辛亥初春偶成」の詩がある。「飽食暖衣愧此身。又逢四十八青春。少年宿志渾灰燼。遂作尋常白首人。」此詩の転結は四年前|杪冬《せうとう》の七律第七八と殆全く同じである。皆稿を留めざる矢口肆筆《しこうしひつ》の作である。「遠大思懐灰燼了。遂為売薬白頭人。」
 十月二十四日に榛軒は福山の執政|高滝《たかたき》某を旅館に訪うた。「嘉永四辛亥十月廿四日、与立夫魯直酔梅家弟柏軒、同訪高滝大夫旅館、此日大夫遊篠池、有詩次韻。昔年今日訪君家。記得林泉清且嘉。亡友共算暁星没。問齢同歎夕陽斜。詩題檠上奇於壁。酒満尊中何当茶。酔渇頻思蜜柑子。二千里外福山※[#「「貝+(やね/示)」、8巻−118−上−5]。」高滝大夫の称は樸斎《ぼくさい》詩鈔、藤陰舎遺稿等に累見してゐる。武鑑に「年寄、高滝左仲」と云ふは此人か。樸斎に「弔高滝常明君墓」の詩がある。常明《つねあき》は左仲の名ではなからうか。同行者|立夫《りつふ》は森枳園、魯直《ろちよく》は岡西玄亭である。酔梅《すゐばい》は未だ考へない。

     その二百五十九

 此年嘉永辛亥の十一月に榛軒の女柏が長刀の伝授を受けた。当時長刀の師に呈した誓約書の副本は、今猶曾能子刀自が蔵してゐる。其文は今人《きんじん》の見て奇異とすべきものなるが故に、此に写し出すことゝする。「誓約之覚。巴流長刀目録御伝授之儀、聊他見他言仕間敷候事。御相伝被下候上は、御指南之条条堅相守、稽古半に而《て》相止申間敷、且他流と藝替不仕候。右|於相背者《あひそむくにおいては》、秋葉大権現摩利支尊天、別而《べつして》鬼神之御罰相蒙可申候也。仍誓約|如件《くだんのごとし》。嘉永四年歳次辛亥十一月。伊沢柏。喜多村|増馬《ますま》殿。」
 昔妙齢にして長刀を錬習した柏が今曾能子刀自として健在せることは、わたくしの既に屡《しば/\》云つた如くである。啻《たゞ》に然るのみならず、毎《つね》に柏が長刀の対手をした少年も、今猶健在してゐる。それは当時の塩田|良三《りやうさん》で、即今の塩田|真《しん》さんである。辛亥の歳には柏が十七、良三が十五であつた。
 十二月十三日に蘭軒の姉|幾勢《きせ》、黒田家の奥に仕へた時の名|世代《せよ》、薙染《ちぜん》後の称正宗院が八十
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