あつた。其一は榛軒が日光山に遊んだこと、其二は正宗院が八十の賀をしたこと、其三は榛軒の女柏が全安の遺子梅を生んだことである。
 日光山の遊は榛軒詩存に七絶五首が見えてゐる。榛軒は是より先、既に此山に登つたことがあるらしい。「売酒老翁旧相知。竹欄沿例先把巵。」庚戌の此遊は夏の初で、途上四月八日に某寺を訪うた。「紫屋紅軒尽是花。禅房新造小龕家。媼翁各伴児孫去。競酌香湯灌釈迦。」途《みち》に藤の花の盛に開いてゐるのをも観た。「水奔渓石白如噴。風擺藤花紫欲篩。」五首の題は「嘉永三庚戌日光道中口占」である。
 阿部正弘事蹟を按ずるに、下《しも》の如き記事がある。「此年(嘉永二年)九月、日光東照宮其他の修繕工事総奉行を命ぜらる。翌年(三年)三月、勝手掛勉励の労を賞せられ、且つ東照宮修繕の為に日光に発向するを以て、葵章鞍覆を賜はる。四月、日光に赴き、十余日にして帰る。」是に由つて観れば、榛軒庚戌の遊は正弘に随行したものと見える。
 次に正宗院の八十の賀は、わたくしは今二物の存するあるに由つて知つた。徳《めぐむ》さんは小島成斎の書幅を蔵してゐる。全唐紙に「如南山寿、不騫不崩」の八字が二行に大書してある。末には「奉賀正宗院君八秩、知足」と署してある。禿筆《とくひつ》を用ゐて作つた草体が奔放を極めてゐる。引首印《いんしゆいん》と知足の下《しも》の印一顆とがある。是が一つである。今一つは清川安策の五古で、是は文淵堂の花天月地《くわてんげつち》中に収められてゐる。

     その二百五十八

 わたくしは此年庚戌の正宗院八十の賀に、清川安策の五古があつたと云つた。今これを下《しも》に写し出す。「賀正宗尼君八十初度、漫賦十韻以代戯話。天錫無疆寿。譬諸松栢栄。繁枝庇百草。心堅而操貞。昔日絶世累。晩節傲玄英。窮陰無衰態。足以慰物情。仙鶴棲其上。有雛揚家声。二字誰所命。称其宗之正。請看甘冽酒。与君同美名。老後最多福。奉養有両甥。松下聞鶴唳。筵間金尊盈。雲仍遶膝坐。交起挙賀※[#「角+光」、第3水準1−91−91]。梧陰廃叟拝具。」花天月地の同巻中に榛軒に此詩を寄せた時の添書《そへしよ》があつて、「口上茶番に代候《かへそろ》例の譫言《たはこと》」とことわつてある。此書状には※[#「りっしんべん+豈」、第3水準1−84−59]《がい》と署してあり、又詩箋にも「清川」と「※[#「りっしんべん+豈」、第
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