榛軒三十五、妻志保三十九、女柏四つ、同久利二つ、柏軒と妻俊とは二十九、蘭軒の女長二十五、蘭軒の姉正宗院六十八であつた。
その二百四十六
天保十年は蘭軒歿後第十年である。五月二十八日に、蘭軒の父にして榛軒の祖父なる信階《のぶしな》の三十三回忌が営まれたらしい。徳《めぐむ》さんの蔵する一枚の色紙がある。「伊沢ぬし祖父君の三十三年の忌に、あひしれる人々をつどへ給へるをりに、おのれもかずまへられければ。三世かけてむつびあふまでおいせずばむかしをしのぶけふにあはめや。こは祖父君よりしてかたみに心へだてぬ中なればなりけり。定良。」是は蘭軒の詩中に見えてゐる木村|駿卿《しゆんけい》である。此人は弘化三年に歿したが、未だ其生年を詳《つまびらか》にしない。
七月二十日に榛軒の次女久利が三歳にして歿した。法諡《はふし》示幻禅童女《しげんぜんどうによ》である。
九月二十七日に蘭軒の門人山田|椿町《ちんてい》が蘭軒医話を繕写してこれに序した。
わたくしは前に塩田|良三《りやうさん》の生れたことを記したから、此に柏軒門下にして共に現存してゐる松田|道夫《だうふ》の此年に生れたことを併記して置く。後に叙すべき柏軒の事蹟は、二氏の談話に負ふ所のものが多い。
此年榛軒三十六、妻四十、女柏五つ、柏軒と妻俊とが三十、蘭軒の女長二十六、蘭軒の姉正宗院六十九であつた。
天保十一年は蘭軒歿後第十一年である。榛軒に「天保十一庚子元旦」の七絶がある。今其|辞《ことば》を略する。
三月に榛軒が古文孝経を伊勢の宮崎文庫に納めた。徳さんは其領券を蔵してゐる。「謹領古文孝経孔子伝一冊。右弘安二年古写本影※[#「墓」の「土」に代えて「手」、第3水準1−84−88]。阿部賢侯蔵板。賢侯跋而梓行。今茲献納大神宮文庫。伏惟。崇学尚古之余。施及斯挙。豈無洪休神明維享。書生等亦倶拝賜。不勝欣戴之至。遵例標録。以垂千祀矣。是為券。天保十一年庚子三月。豊宮崎文庫書生。伊沢長安雅伯。」
わたくしは榛軒の妻志保が始て柏に仮名文字を授けたのは此頃であつたかと謂《おも》ふ。女中等は志保の子を教ふることの厳なるを見て、「お嬢様はおかはいさうだ」と云つたさうである。柏の最もうれしかつた事として後年に至るまで記憶してゐるのは、此頃大久保|主水《もんど》の店から美しい菓子を贈られたことである。大久保氏は前に云つた如く蘭軒
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