圭《りじよけい》の儀礼釈宮《ぎれいしやくきう》一巻は経苑《けいゑん》、武英殿聚珍版書等に収められてゐる。柏軒の日記は此に終る。

     その二百一

 わたくしは榛軒が初の妻横田氏|勇《ゆう》を去つて、後の妻を納《い》れたのが、前年暮春より此年天保三年に至る間に於てせられたかと推する。榛軒は前年二月の末に福山より江戸に帰つた。その福山にあつた時、留守に勇がゐたことは、荏薇《じんび》問答に由つて証せられる。しかし柏軒に与ふる幾通かの書に、動《やゝ》もすれば勇を信ぜずして、弟にこれが監視を託するが如き口吻があつた。榛軒が入府後|幾《いくばく》ならずして妻を去つたものと推する所以である。
 榛軒は既に前妻を去つた後、必ずや久しきを経ずして後妻を娶《めと》つたであらう。何故と云ふに、後妻は特に捜索して得たものでは無く、夙《はや》く父蘭軒が在世の日より、病家として相識つてゐた家の女《むすめ》であつたからである。榛軒|再娶《さいしゆ》の時は此年より遅れぬものと推する所以である。
 榛軒の後妻とは誰ぞ。飯田氏、名は志保である。寛政十二年に生れて、此年既に三十三歳になつてゐた。志保は夫榛軒より長ずること四歳である。
 伊沢分家の伝ふる所を聞けば、志保の素性には一条の奇談がある。大坂の商賈某が信濃国諏訪の神職の女《ぢよ》を娶つて一女を生ませた。此女が長じて京都の典薬頭《てんやくのかみ》某の婢となつた。口碑には「朝廷のお薬あげ」と云ふことになつてゐる。わたくしはこれを典薬頭と解した。典薬頭某は先妻が歿して、継室を納れてゐた。そして嫡子は先妻の出《しゆつ》であつた。此嫡子が婢と通じて、婢は妊娠した。
 婢は大坂の商家に帰つて女《ぢよ》梅を生んだ。既にして婢の父は武蔵国川越の人中村太十の次男某を養つて子とし、梅の母を以てこれに配した。梅の母は更に二女を生んだ。るゐと云ひ、松と云ふ。当時此家は芝居茶屋を業としてゐた。
 後梅は継父、生母、異父妹二人と偕《とも》に江戸に来た。想ふに梅の外祖父母たる大坂の商賈夫妻は既に歿してゐたことであらう。
 梅の一家は江戸にあつて生計に窮し、梅は木挽町の藝妓となつた。
 後二年にして梅の母は歿した。梅の異父妹二人も亦身の振方が附いた。るゐは浅草永住町蓮光寺の住職に嫁し、松は川越在今市の中村某に養はれた。
 是に於て梅は妓を罷めて名を志保と改め、継父と偕に
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