。「採薬遇天晴。青籃掛杖行。途平蓬野濶。苔滑石橋横。林薄荷※[#「金+纔のつくり」、第3水準1−93−44]入。池塘洗艸清。吾家間事業。不是学長生。」第一には天精《てんせい》がある。天精は地骨皮《ちこつひ》の別名である。晴は精と通ずる。第二には藍がある。籃藍は相通《さうつう》である。第三には萍《へい》がある。平は萍と通ずる。第四には滑石《くわつせき》がある。第五に薄荷《はくか》がある。第六に※[#「くさかんむり/倩」、7巻−362−上−9]草《せんさう》がある。洗※[#「くさかんむり/倩」、7巻−362−上−10]は相通である。第七に五加《ごか》がある。五加と吾家とは音通である。第八に長生がある。長生は※[#「羌+ム」、第3水準1−90−28]活《きやうくわつ》の別名である。
 五月と六月との詩会の間に、「竹酔日草堂小集」の作がある。題は「梅雨新晴」で、蘭軒は七律一を作つた。
 六月の詩会は仙歌亭に於て十三日に催された。仙歌亭は恐くは上野仙駕亭であらう。宿題は無い。席上題は「池亭観蓮」で、蘭軒に七絶一がある。其次に山室士彦を送る詩があつて、「与諸君同池亭看蓮、時山室兄将還郷、乃奉呈」と題してある。想ふに仙歌亭の宴が祖筵を兼ねてゐたのであらう。「荷花万頃競嬌※[#「女+堯」、第4水準2−5−82]。筆硯杯盤香気飄。詞賦君裁雲錦色。携帰宜向故園驕。」
 六月と七月との詩の間に、「賜題」と註した二首の詩がある。題は「放螢」、「摘枇杷」で、阿部|正寧《まさやす》の賜ふ所であらう。蘭軒は七絶各一を作つた。別に「侍筵賜題并韻」と註した一首がある。題は「池辺納涼」で、蘭軒は五絶一を作つた。此三首の次に尚「題坡仙赤壁図」の七絶一がある。
 七月十五日に「七月既望即事」の詩がある。「露蕉風竹影婆娑。又是良宵病裏過。江上泛舟看月客。詩思飲興百東坡。」
 七月と八月との詩の間に、「送山村士彦帰福山」、「恭次高韻、時駕将帰藩」の二詩がある。
 山村は恐くは山室の誤であらう。詩は一|韻到底《ゐんたうてい》の五古で、其中に就いて士彦の身上の事二三を知ることが出来る。士彦の福山藩士なることは、独り題に「帰福山」と云ふより推すべきのみでは無い。「我藩士彦君。温性而雄志。」士彦は寛政十一年生で、戊子には三十歳であつた。「君劣卅平頭。少於吾廿二。」士彦は曾て菅茶山の塾にゐて、後に藤某《とうぼう》の門に
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