厚は長女をまうけた。榛軒の婚姻は少くも十一月の前十月に於てせられたものとしなくてはならない。
 わたくしは此の如くにして、榛軒の婦を迎へた時の、此年丁亥正月なるべきことを推定した。

     その百七十七

 わたくしは蘭軒の嫡子榛軒が此年文政十年正月中に婦を迎へたことを推定した。是は菅茶山の蘭軒に与へた手柬の断片と、※[#「くさかんむり/姦」、7巻−347−上−4]斎詩集の自註とに拠つたものである。
 榛軒の妻《さい》とは誰ぞ。伊沢分家の口碑に拠るに、榛軒は初め横田氏を娶《めと》り、後飯田氏を娶つた。彼は名を勇《ゆう》と云ひ、此は名を志保《しほ》と云つた。是に由つて観れば丁亥に来り嫁した新婦は横田氏勇であらう。
 此年二月二日は菅茶山の八十の誕辰であつた。寿筵は恐くは此日に開かれたことであらう。集に「八十諸友来寿」の三絶句がある。しかし日を記さない。行状には「賜章服及魚寿之」と云つてある。饗庭篁村さんの所蔵の月日を闕いた書牘の断片に下の文がある。「八十之賀には御垢附御羽折《おんあかつきおんはをり》雑魚《ざこ》数品拝領、其外|近比《ちかごろ》八丈島二反御肴とも被下置候。殊遇特恩身にあまり難有奉存候。桑楡《さうゆ》之景もはや可然御奉公も出来かね、只々恐入奉存候。せめて時々御伺にも相出候へば宜候に、衰耄それも出来かね候而《そろて》、不可奈何《いかにもすべからず》候。扨々恐入候御事に御坐候。我兄迄感泣之万一を申上候。御憐察可被下候。晋帥。」此文は上《かみ》に引いた「君公御入国に而」云々の文の後半で、末に宛名が無い。しかし所謂「我兄」の蘭軒たることは疑を容れない。行状の書する所は阿部|正寧《まさやす》の初度の賜《たまもの》で、「章服」は「御垢附御羽折」である。此賜は二月二日の生日に於てせられたこととおもふ。
 寿詞を贈つたものには讚岐の後藤|漆谷《しつこく》、美作《みまさか》の茂誥大輔《もかうたいほ》、徳島の僧玉澗等があつたことが集に見えてゐる。
 二月十三日には蘭軒が不忍池の仙駕亭に会した。宿題「林鶯」の七絶、席上分韻「湖亭春望」の七律がある。
 三月十三日には再び仙駕亭に会した。宿題「花時遍遊諸村」の七絶がある。
 十五日には向島に月を観た。「三月既望墨水堤花下歩月」の七絶は後に考拠に資すべきものがあるから、此に採録する。「万頃春波漫夜烟。花薫々処月妍々。古人品得何廉
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