鶯遷一鴎侶。春水春草扁各居。最留春事属誰所。衙前楊柳路傍花。寅入酉退奈厳何。興来行楽倦則睡。長留春風在君家。伯是儒宗叔循吏。所得終孰与仲多。」山陽が「他日有人為三翁立伝、当収先生此詩於賛中、以為断案」と云つてゐる。歳晩の茶山の詩には絶て衰憊《すゐはい》の態が無かつた。「迎春不必凋年感、且喜椒盤対俊髦。」
 蘭軒は上《かみ》に云つた如く此年四十八歳であつた。妻益四十二歳、子女は榛軒二十一歳、常三郎二十歳、柏軒十五歳、長十一歳である。
 文政八年「乙酉元日」は立春後十四日であつた。蘭軒の律詩には阿部家世子の慶事と孝経刻成の事とが頷聯に用ゐてある。「春入千門松竹青。尤忻麗日照窓櫺。儲君初拝顕官位。盛事新雕旧聖経。魚上氷時憑檻看。鳥遷喬処把觴聴。優游常在恩光裏。不歎徒添犬馬齢。」茶山には元日二日の五律各一首がある。備後は年の初が雪後《せつご》であつた。「午道氷消潦」の句があり、又「残雪水鳴矼」の句がある。
 九日の例年「草堂集」には、蘭軒が「偏喜青年人進学、休嗤白首自忘愚」の聯を作つた。自註に「近日同社少年輩学業頗進、故詩中及之」と云つてある。
 十九日は春社《しゆんしや》であつた。蘭軒の詩に「小吹今年新附一、童孫鳴得口琴児」の句がある。わたくしは初め榛軒が已に娶《めと》り已に子を挙げてゐたかを疑つたが、これは一家の事に与《あづか》らぬらしい。

     その百六十六

 此年文政八年三月十三日に蘭軒は上野不忍池に詩会を催した。※[#「くさかんむり/姦」、7巻−326−上−12]斎詩集に此時に成つた七絶五首がある。其引はかうである。「三月十三日。与余語天錫、森立夫、岡西君瑤、高橋静覧、横田万年叔宗橘、酒井安清、多良辨夫、及二児厚重、同集篠池静宜亭。」詩は此に総叙の如き初の一首を取る。「阻風妨雨過芳辰。況復世紛纏此身。今日忽遭吟伴※[#「二点しんにょう+牙」、第4水準2−89−81]。小西湖上問残春。」
 不忍池の詩会に列した人々は皆少年らしく思はれる。蘭軒は二児榛軒|厚《こう》、柏軒|重《ちよう》を除く外、悉《こと/″\》く字《あざな》を以て称してゐる。その人物の明白なるものは森|立之《りつし》、字は立夫《りつふ》、岡西|徳瑛《とくえい》、字は君瑤《くんえう》の二人に過ぎない。立之は通称養竹、徳瑛は通称玄亭で、皆門人録に見えてゐる。
 余語《よご》氏は此年甲申の武鑑に、「
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