かんさい》詩集に見えてゐる本草経が或は枳園の本草経に似た未定稿本であつたのではなからうかと云ふのみである。わたくしは蘭軒が慮氏孫氏等の本を取つて講じたとは信じ難いがために、推理の階級を歴《へ》て此断案に到著したのである。

     その百六十五

 此年文政七年の十二月には二つの記すべき事がある。一は蘭軒の主家に於て儲君阿部寛三郎|正寧《まさやす》の叙位任官の慶《よろこび》があつたことである。事は次年歳首の詩の註に見えてゐる。阿部家に此慶のあつたことと、彼弘安本古文孝経の刻成せられたこととは、蘭軒の重要視する所であつたので、其詩にも入つたのであらう。詩註に云く。「客歳十二月十六日。世子叙従五位下。任朝散大夫。公旧蔵弘安鈔本古文孝経孔伝。客歳命工※[#「墓」の「土」に代えて「手」、第3水準1−84−88]刻。故詩中及之。」今一つは二十三日に蘭軒が医術申合会頭たる故を以て、例年の賞を受けたことである。勤向覚書の文は略する。
 ※[#「くさかんむり/姦」、7巻−324−下−14]斎詩集には此年の冬詩四首がある。其最初なるものが上《かみ》に云つた本草経竟宴の詩で、最後なるものが「歳晩書懐」の絶句である。「貧富人間何互嗤。不知畢竟属児嬉。春風一促紙鳶去。落地凌霄彼一時。」中間に「自笑」と題する一絶一律がある。並に皆貧に安んじ分を守つて、流俗の外《ほか》に超出すること、歳晩の詩と相類してゐる。わたくしは四十八歳の蘭軒の襟懐を示さむがために、此に両篇を採録する。七絶。「詩句未嘗得好音。※[#「士/冖/石/木」、第4水準2−15−30]嚢常是絶微金。村醪独酌醺然後。嶽々亢顔論古今。」七律。「生来未歩是非関。身在世途如在山。心淡時随茶讌後。量微猶混酒徒間。緯紗冬夜談経坐。杜曲春風買笑還。誇道我元無特操。優游已到※[#「髟/兵」、第3水準1−94−27]毛斑。」
 菅氏では茶山が此年七十七歳になつた。頼山陽が母|梅※[#「風にょう+思」、第4水準2−92−36]《ばいし》を奉じて来り宿したのが十月十五日で、中の亥の日に当つてゐた。「※[#「米+滋のつくり」、第4水準2−84−1]※[#「米+羔」、第3水準1−89−86]祭亥市童喧。只祝郷隣産育繁。恰有潘郎陪母至。問来独樹老夫村。」茶山が山陽の父叔完疆柔《ふしゆくくわんきやうじう》の三人を品題したのも此年である。「兄弟三人並風流。二随
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