たくしは菅波高橋両家の系図を披《ひら》いて見た。茶山の弟|汝※[#「木+便」、第4水準2−15−14]《じよへん》、晋宝《しんはう》、妹ちよ、まつには皆子があり、其子に女があり、中に夭折した女がある。わたくしは其中に就いて捜すこととした。何故と云ふに更に下ること一代となると、年月が合はなくなるからである。例之《たとへ》ば弟汝※[#「木+便」、第4水準2−15−14]の子|万年《まんねん》の女類は夭折の年月或は契合すべく、更に下つて万年の子|菅《くわん》三の女|通《つう》となると、明に未生《みしやう》の人物となる。
 わたくしの捜索の範囲は茶山の書牘の一句に由つて頗る狭められた。それは「お敬はじめ哀傷御憐察可被下候」の語である。敬は亡くなつた女の母らしい。
 男系より見れば敬は茶山の弟汝※[#「木+便」、第4水準2−15−14]の子万年に嫁した婦《よめ》である。女系より見れば敬は茶山の妹ちよの井上正信に嫁して生んだ女である。
 しかし万年と敬との間には女子が無い。系図は敬の女《むすめ》を載せない。
 是に於てわたくしは、彼牀頭の小珠が北条霞亭の敬に生ませた女だらうと云ふことに想ひ到つた。おとらは山陽の「生二女、皆夭」と書した二女の一であるらしい。若しさうだとすると、未亡人敬の帰郷の旅は幼女を伴つた旅であつたこととなる。又蘭軒は前年見送つて江戸を立たせた孤《みなしご》に物を贈つたこととなる。

     その百五十九

 わたくしの上《かみ》に引いた菅茶山の此年文政七年旺秋後の書牘には、直接間接に十三人の事が見えてゐる。其中わたくしは既に第一故北条霞亭、第二霞亭の未亡人敬、第三其幼女とら、第四霞亭の墓に詣でた柴山某の四人に関する書中の二節を挙げて、これが解釈を試みた。
 第五は書の首《はじめ》に見えてゐる棕軒侯である。侯は茶山の次韻の詩を見て称讚した。「中歳抽簪為病痾」の七律とこれに附した八絶とである。茶山は「御覧にも入候而御称しも被下候由、難有仕合に奉存候」と云つてゐる。茶山は又蘭軒が侯に親近するを聞いて、友人のために喜んでゐる。「度々御前へ御出被成候よし、委曲被仰下、於私も拍悦之御事に候。」
 第六は侯の儒臣鈴木|宜山《ぎざん》である。蘭軒は江戸に於て妙妙奇談の発刊せらるるに会ひ、一部を茶山に送致した。茶山は読み畢《をは》つて、これを宜山の許《もと》に遣つた。宜山は
前へ 次へ
全567ページ中255ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング