る証迹が明である。蘭軒はこれを見るに及ばなかつた。後嘉永二年に至つて、幕府が躋寿館に命じてこれを覆刻した。そして多紀※[#「くさかんむり/(匚<(たてぼう+「亞」の中央部分右側))」、第4水準2−86−13]庭《たきさいてい》等が校定の事に当つた。
 その元槧本は則ち蘭軒の跋する所のものである。

     その百三十二

 蘭軒が此年文政六年に跋した千金方の元槧本は、後年世に出でた宋槧本には劣つてゐても、蘭軒の時にあつては、三十巻の全本中最善本として推すべきものであつた。
 支那に於ては、清の康※[#「冫+熈」、第3水準1−14−55]雍正の頃に至るまで、猶善本を存してゐた証がある。銭曾《せんそう》の読書敏求記《どくしよびんきうき》、張※[#「王+路」、第3水準1−88−29]《ちやうろ》の千金方衍義の云ふ所の如きが是である。既にして乾隆中四庫全書提要の成つた時には、三十巻の善本は既に佚してゐた。降つて嘉慶に至つて、銭※[#「にんべん+同」、第3水準1−14−23]《せんどう》も亦崇文総目に於て乾隆の旧に依つてゐる。
 然らば善本に代つて支那に行はれたのは、いかなる本か。それは所謂道蔵本と道蔵本に変改を加へたものとである。蘭軒はかう云つてゐる。「道家者流。要抗仏蔵之浩瀚。自嫌其書寡少。妄析其巻。虚張其目。如他素問。素廿四巻。分為五十巻。玄珠密語十巻。分十七巻之類。」
 千金方の道蔵本は即ち九十三巻の嘉靖本で、四庫全書の収むる所である。
 嘉靖本は我国に於ても亦飜刻せられた。これが万治本である。普通本は舶載嘉靖本と万治本とである。
 猶我国には天明本がある。これは嘉靖本を変改して三十巻とし、題して元板飜刻と云ひ、京都に於て刊行した。
 此の如く千金方は、支那に於ても我国に於ても、偽本のみ行はれてゐることゝなつた。それゆゑ金沢文庫の零本第一巻の貴いことは論なく、次に三十巻全備の書としては、北宋槧本の未だ世に出でざる間は、元槧本を以て第一に推さなくてはならなかつたのである。
 只蘭軒の時には猶明の正徳中の刻本があつて、これは元槧本の旧に依つたものであつたが、それだに容易には獲られなかつた。蘭軒は「巻数体裁、与元板同、世不多有、而字形陋拙、刻様※[#「鹿/(鹿+鹿)」、第3水準1−94−76]悪、蓋為坊本」と云つてゐる。
 元槧本はこれに反して、頗る意を校刻に用ゐたもので
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