就木、猶空衣」と云ふを見れば、奇蹟である。年齢の知り難いのも怪むに足らない。蘭軒も亦「世以為仙医」と書してゐる。
 此春蘭軒は大田南畝の七十を寿した。恐くは三月三日の誕辰に於てしたことであらう。「寿南畝大田先生七十。避世金門一老仙。却将文史被人伝。詼諧亦比東方朔。甲子三千政有縁。」詩は梅を詠ずる作と瞿麦《なでしこ》を詠ずる作との間に介《はさ》まつてゐる。
 次で夏より秋に至つて、詩八首がある。其中人名のあるものを摘記することとする。原来此種の記載は無用に属するかも知れぬが、或は他書を併せ考ふるに及んで、有用のものとなるかも知れない。わたくしは此の如き楽天観に住して、甘んじて点簿の労に服する。
 先づ真野父子がある。前《さき》に冬旭《とうきよく》とその善書《ぜんしよ》の子とがあつたが、今又|竹亭松宇《ちくていしようう》の父子を見る。居る所を陶後園と云ふ。松宇は当時官吏であつた。蘭軒の集に此家の瞿麦と菊との詩がある。「真野松宇宅集、園中瞿麦花盛開、云是先人竹亭先生遺愛之種、因賦一絶為贈。種藝従来向客誇。山園開遍洛陽花。渾為千片斑爛錦。遺愛芳滋孝子家。又。真野松宇陶後園菊花盛開、贈主人。菊花満圃気清高。堪償栽培一歳労。幽事不妨官事劇。君家隠趣大於陶。」
 次に福山の人小野|士遠《しゑん》がある。蘭軒は五律を作つてその郷に帰るを送つた。「送小野士遠還福山」として、其五六に「祗役添詩興、躋勝酬素情」と云つてある。

     その百四

 次に戊寅夏秋の詩に出てゐる人物は長谷川雪旦である。雪旦、名は宗秀、又|厳嶽《げんがく》、一陽庵等の号がある。此年四十一歳で、肥前国唐津の城主小笠原|主殿頭長昌《とのものかみながまさ》に聘せられて九州に往つた。「送画師長谷川雪旦従駕之唐津。移封初臨瀕海城。※[#「馬+芻」、第4水準2−93−2]騎隊裏虎頭行。大藩如是編新誌。佳境総依彩筆成。又。使君五馬経瑤浦。揮筆応誇清舶商。為説画家唐宋法。真伝存在我東方。」小笠原長昌は前年九月十四日に陸奥国棚倉より徙《うつ》された。それゆゑ「移封初臨」と云つてある。此移封は井上河内守|正甫《まさもと》の貶黜《へんちゆつ》に附帯して起つた。正甫は奏者番を勤めてゐて、四谷附近の農婦を姦した。これに依つて職を免じ、遠江国浜松より棚倉へ徙された。水野左近将監忠邦は唐津より来つて其後を襲《つ》ぎ、長昌は又忠邦の後を襲
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