予遊崎」と云つてゐる。わたくしは此「屡蒙寄贈」の四字から、梅泉が竹田に好《よしみ》を通じて、音問贈遺《いんもんぞうゐ》をなしながら、未だ相見るに及ばなかつたものと推するのである。二人は未見の友であつただらう。そして菅茶山が神辺にあつて狩谷※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎の江戸より至るを待つた如くに、梅泉は長崎にあつて竹田の竹田《たけだ》より至るを待つたものと見える。しかし茶山はながらへてゐて、※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎を黄葉夕陽村舎に留めて宿せしむることを得、梅泉は早く歿して、竹田の至つた時泉下の人となつてゐた。
 竹田は梅泉の母に逢つて亡友の平生を問ひ、又諸友に就いて其行事の詳《つまびらか》なるを質《たゞ》した。竹田たるもの感慨なきことを得なかつたであらう。
 或日竹田は郊外に遊んで、偶《たま/\》南渓に至り、所謂《いはゆる》梅泉荘の遺址を見た。梅泉の壮時、「挾粉白、擁黛緑、日会諸友、大張宴楽」の処が即此荘であつた。屋舎の名は吟香館で、江稼圃《こうかほ》と大田南畝との題※[#「匚<扁」、第4水準2−3−48]《だいへん》が現に野口孝太郎さんの許《もと》に存してゐる。竹田のこれを記した文は人をして読み去つて惻然たらしむるものがある。
「予与秋琴。一日郊遊。晩過一廃園。垣墻破壊。門※[#「戸の旧字/炯のつくり」、第3水準1−84−68]欹側。満池荒涼。只見瓦礫数堆耳。秋琴乃指曰。昔之梅泉荘是也。予愴然顧視。老梅数株。朽余僅存。有寒泉一条。潺々従樹下流出。其声嗚咽。似泣而訴怨者。植杖移※[#「日/咎」、第3水準1−85−32]。眉月方挂。如視梅泉之精爽。髣髴現出于前也。躊躇久之。冷風襲衣。仍不忍去。」
 竹田が倶《とも》に郊外に遊んだ秋琴とは誰か。恐くは熊《ゆう》秋琴であらう。名は勇《ゆう》、字《あざな》は半圭《はんけい》、諸熊《もろくま》氏、通称は作大夫である。長崎の波止場に近い処に支那風の家を構へて住んでゐた。竹田は長崎にゐた一年足らずの月日を、多く熊の家に過したさうである。「出入相伴、同遊莫逆」とも云つてゐる。
 秋琴も亦、木下逸雲、僧鉄翁と同じく、江稼圃の門人であつた。又梅泉が梅泉荘を有してゐた如くに、秋琴は睡紅園を有してゐた。
 別に清客張秋琴があつて、蘭軒がこれに書を与へて清朝考証の学を論じたことは上《かみ》に云つたが、これは文
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