。其外存候人へ御致声《ごちせい》宜奉願上候。別而《べつして》御内政《ごないせい》様おさよどのへ御祝詞奉願上候。此次《このたび》状多したため腕疲候而やめ申候。春寒御自玉可被成候。恐惶謹言。正月廿一日。菅太中晋帥《くわんたいちゆうしんすゐ》。伊沢辞安様。去年詩画騒動之詩、尺牘とも見申候。番付未参候、あらば御こし可被下候。詩御一笑可被下候。うつさせて梧堂へ御見せ可被下候。」
「尚々卿雲へこたび書状なし。宜御申可被下候。たび/\問屋のやう御頼、所謂《いはゆる》口銭もなし。御面倒奉察候。」
その九十二
此丁丑正月の菅茶山の書に所謂「下宮大夫臥病」云々は、前に引いた勤向覚書に見えてゐる往診の事である。大夫下宮、通称は三郎右衛門、神田にある阿部家の上屋敷にゐて病に罹つたので、蘭軒は丸山の中屋敷から往診した。此機会に蘭軒は轎《かご》に乗つて上屋敷に出入する許可を受けたのである。
院之荘の簾《すだれ》の事は興ある逸話である。狩谷※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎は茶山に十符《とふ》の菅薦《すがごも》を贈つた。茶山は其|報《むくい》に院之荘の簾を遺《おく》ることを約した。それを遷延して果さなかつたのに、今やう/\求め得て送つたのである。
「去年詩画騒動」とは底事《なにごと》か未だ考へない。当時寛斎、天民、五山、柳湾の詩、文晁、抱一、南嶺、雪旦の画等が並び行はれてゐたので、「番附」などが出来、其序次が公平でなかつたために騒動が起つたとでも云ふ事か。「詩尺牘とも」見たと、茶山は云つてゐるが、※[#「くさかんむり/姦」、7巻−188−下−9]斎《かんさい》詩集にはそれかと思はるる詩も見えない。
慣例のコンプリマンは簾を得て書を得ざる※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎、茶山の詩を見せてもらふ石田梧堂の外、蘭軒の妻妾《さいせふ》に宛《あ》ててある。
蘭軒の集中には此年元旦の作の後に、春季の詩七首がある。此にその作者の出入起居を窺ふべきものを摘取することとする。蘭軒の例として催す「豆日草堂集」は、恰《あたか》も好し、雪の新に霽れた日であつた。「竹裏数声黄鳥啼。漫呼杖※[#「尸+(彳+婁)」、第4水準2−8−20]到幽棲。恰忻春雪朝来霽。麗日暄風晞路泥。」又「春日即事」の詩に「春困奈斯睡味加、筑炉薩罐煮芳芽」の句がある。筑炉の下《もと》には「家姉之所贈」と註
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