塚等の名あれば、好事者鬼といふより伊勢もの語にひきあてゝつけし名ならんか。三里御嶽駅。一里五丁伏見駅。太田川を渡り二里太田駅。芳野屋庄左衛門の家に宿す。熱甚。しかれども風あり。此駅に到て蠅大に少し。蚊は多し。此夜|※[#「巾+厨」、第4水準2−8−91]《かや》を設く。行程七里|許《きよ》。」
第十三日。「二日卯発し駅をいづれば、渓水浅流の太田川にながれ入る所あり。方一尺許の石塊をならべてその浅流を渡る。直にのぼる山|乃《すなはち》勝山なり。一山みな岩石也。斫《きり》て坂となし坦路となしゝものあり。窟の観音に詣る。佳境絶妙なり。河幅至てひろく、水心に岩石|秀聳《しうしよう》し、蟠松矯樹《はんしようあいじゆ》ううるがごとく生ず。水勢の石に激する所あり。淵をなして蒼々然たる所あり。浅流底砂を見る所あり。美濃山中の勝地ならん。二里鵜沼駅にいたる。犬山の城見ゆる。四里八丁加納駅。一里半河渡駅。塗師《ぬし》屋久左衛門の家に宿す。気候前日のごとし。行程七里半余。」
詩。「観音阪。観音山畔望。渓水濶且奇。源自東西会。瀬因深浅移。小航工避石。壊岸却成逵。只見宜玄対。愧余未忘詩。」
その三十五
第十四日は文化三年六月三日である。「三日、此日は南宮山に詣《いた》らんとして未明撫院に先《さきだ》つて発せり。一貫川を経て一里六丁|美江寺《みえでら》駅に到る。呂久《ろく》川を渡り大垣堤を過《よぎ》るとき、旭日初て明に養老山望前に見ゆ。二里八丁赤坂の駅に到る。青野原の傍《かたはら》を経て垂井《たるゐ》駅なり。駅中に南宮一の鳥居あり。七八丁入り社人若山八兵衛といふものを導《みちびき》として境内を歴覧す。空也上人建るところの石塔みかげ石字なし。図巻末に出す。仏師春日の造る狛犬は随身門《ずゐじんもん》の後にあり。古色朴実にして猛勢怖るべきがごとし。左方の狛犬玉眼一隻破たり。本社の内にも狛犬あれども新造のものにして観るに足らず。全く春日の作を摸するものと思はる。鐘あり。銅緑を一面に生じて古色なり。銘なし。社旁《しやはう》に五重の石塔婆あり。高さ三尺七八寸苔蘚厚重して銘かつてよめず。(籬島《りたう》よくも見たり。)図後に出す。鉄塔あり。古色実に五百年前のもの也。銘よみうれども鉄衣あつき故摺得ず、やうやく年号のみすりたり。往年は屋前も作らずありしを中川飛騨守(勘定奉行たりしとき)検巡の
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