ずにいた人間として極印《ごくいん》を打たれたのは、かえすがえすも口惜しい。自分はすすぐことの出来ぬ汚れを身に受けた。それほどの辱《はじ》を人に加えることは、あの外記でなくては出来まい。外記としてはさもあるべきことである。しかし殿様がなぜそれをお聴きいれになったか。外記に傷つけられたのは忍ぶことも出来よう。殿様に棄てられたのは忍ぶことが出来ない。島原で城に乗り入ろうとしたとき、御先代がお呼び止めなされた。それはお馬廻りのものがわざと先手《さきて》に加わるのをお止めなされたのである。このたび御当主の怪我をするなとおっしゃるのは、それとは違う。惜しい命をいたわれとおっしゃるのである。それがなんのありがたかろう。古い創《きず》の上を新たに鞭《むち》うたれるようなものである。ただ一刻も早く死にたい。死んですすがれる汚れではないが、死にたい。犬死でもよいから、死にたい。
 数馬はこう思うと、矢も楯《たて》もたまらない。そこで妻子には阿部の討手を仰せつけられたとだけ、手短《てみじか》に言い聞かせて、一人ひたすら支度を急いだ。殉死した人たちは皆|安堵《あんど》して死につくという心持ちでいたのに、数馬が
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