喜んで詰所へ下がると、傍輩《ほうばい》の一人がささやいた。
「奸物《かんぶつ》にも取りえはある。おぬしに表門の采配《さいはい》を振らせるとは、林殿にしてはよく出来た」
 数馬は耳をそばだてた。「なにこのたびのお役目は外記《げき》が申し上げて仰せつけられたのか」
「そうじゃ。外記殿が殿様に言われた。数馬は御先代が出格のお取立てをなされたものじゃ。ご恩報じにあれをおやりなされいと言われた。もっけの幸いではないか」
「ふん」と言った数馬の眉間《みけん》には、深い皺《しわ》が刻まれた。「よいわ。討死するまでのことじゃ」こう言い放って、数馬はついと起って館《やかた》を下がった。
 このときの数馬の様子を光尚が聞いて、竹内の屋敷へ使いをやって、「怪我をせぬように、首尾よくいたして参れ」と言わせた。数馬は「ありがたいお詞《ことば》をたしかに承ったと申し上げて下されい」と言った。
 数馬は傍輩の口から、外記が自分を推してこのたびの役に当らせたのだと聞くや否や、即時に討死をしようと決心した。それがどうしても動かすことの出来ぬほど堅固な決心であった。外記はご恩報じをさせると言ったということである。この詞は
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